「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第492回
安吾・カレーライス事件(その1)

大型連休の最終日。
練馬区と西東京市の境目にある日本そば屋を訪れた。
最寄りの保谷駅から徒歩10分ほどの
「季彩 そばきり すゞ木」は
ずいぶんとシックなたたずまいで
あまり商売っ気を感じさせない。

そば三昧と銘打ったコース料理を楽しんだあと、
大泉学園を経由して石神井公園の
三宝寺池と石神井池のほとりを歩む。
連休中はグズツいていた空模様も
最後の最後に好天に恵まれた。
そのせいか公園内の茶店「豊島屋」は
行楽客で満員御礼、ごった返している。
池畔のイタリア料理店「ロニオン」も大盛況だった。

石神井池の東側からなだらかな坂を北上して
石神井公園駅方面に向かう。
途中、休業日にあたっていたものの、
心惹かれる1軒の食堂が目にとまった。
ガラス窓に近づき、両手で反射する光をさえぎりつつ、
顔を寄せて人気のない店内をのぞけば、
歴史を感じさせる雰囲気が漂っている。
珍しい「ほかり食堂」という屋号も印象的だ。
住所・電話番号をケータイからパソコンに送信した。

なおも坂道を進んでいくと
今度は営業中の「辰巳軒」が現れた。
和・洋・中なんでもござれの
いかにも町の食堂然とした店で
こちらも相当に古そうだ。
時刻は13時半を回っていたが
近隣の住人らしき客が出たり入ったりしている。
看過できないムードに誘われて
再びデータをパソコンに発信。
期待していなかった石神井公園で佳店を2軒も発掘、
これをうれしい誤算と呼ばずに何と呼ぶ。

その日は中村橋まで歩き、西武池袋線と
JR山手線・総武線を乗り継いでいったん帰宅。
さっそくパソコンに向かい、
「ほかり食堂」と「辰巳軒」の検索を開始する。
すると間もなく「東京紅團」という
HP1に到達したのだが
ここでトンデモないことが発覚した。

1951年、無頼派の作家・坂口安吾は
石神井公園東側にあった同じ無頼派の檀一雄宅において
カレーライス大量注文騒動を引き起こした。
10人に満たない頭数しか揃わないところに
100人前のカレーライスの出前を頼んだのである。
狂人・安吾の面目躍如といえばそれまでだが
周りのものはたまったものではない。
みんなでカレーライスの山に挑んだのだ。

そして何と、この100人前のカレーライスの
注文に応じたのが「ほかり食堂」と
「辰巳軒」の2軒だったのだそうだ。
1軒ではとてもさばききれずに
コラボレーションが生じたらしい。
それにしてもこの「東京紅團」、
よくぞここまで調べ上げてくださった。
この場を借りて心からお礼を申し上げたい。

            =つづく=

1 http://www.tokyo-kurenaidan.com

 
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2008年5月21日(水)

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