「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第626回
鳥挽き肉のオムレツ&メンチカツ(その1)

日経新聞ではないが、少しく「私の履歴書」風。
J.C.が生まれたところは長野県・長野市。
有名な善光寺のすぐ裏手に湯福神社という神社があり、
生家はその境内の入り口にあり、旧町名は横澤町。
マピオンで調べてみると、
現在の住所は、箱清水2-5-8だった。
町内には苗字に「澤」の付く家が多かった。
ウチが岡澤で、隣りが北澤さん。
神社の前の坂を上り掛かると、
大きな家があって、そこが宮澤さん。

坂をほぼ上りきると、わが母校ならぬ、
母園の西高付属幼稚園がある。
母園といっても中退である。
小学校に上がる1年ほど前に、東京に出てきたのだ。
わが学歴は幼稚園の中退に始まり、
大学の中退で終わりを告げた。
人生の中退だけはしないようにと
自分を戒める今日この頃である。

東京へ出てきてから大学を中退するまでに
移り住んだのは、中板橋―代々木上原―平和島―
門前仲町―中板橋―成増、といった町々だった。

子どもの頃の好きな食べものは
オムレツ・ハム・帆立貝柱の缶詰・
ちらし鮨・カリカリ梅のおむすび
といったところ。
殊にオムレツが好きだった。
母親の作るオムレツは炒めた挽き肉と玉ねぎを
包んだもので、玉子焼きより好きだった。
何でも善光寺の前にあった旅館「五明館」の
朝食に出されるオムレツのレシピに沿ったものらしく、
これに使われたのが鳥の挽き肉だった。
以来、挽き肉は鳥が一番なのである。
池波正太郎翁の愛したこの旅館は
とっくの昔に廃業したが
隣接していた茶寮「銀扇寮」は
その名を「レストラン五明館」と替えて、今も営業中。

大森第五(平和島)・平久(木場)・弥生(中板橋)と、
ずっと給食だった小学校を卒業し、上板橋一中に入学。
常盤台が最寄りのこの中学は四方を
東武東上線・環状七号線・旧川越街道・石神井川に
囲まれた特異な場所にある
石神井川に架かる下頭橋がすぐそばにあり、
この橋のたもとに名は忘れたが鳥肉専門店があった。
店先で揚げ立てのコロッケやメンチカツを売っており、
学校帰りにここで買い食いするのが大きな楽しみだった。
鳥挽き肉を使ったメンチカツの味は今も忘れられない。

時代は下って、あれは10年ほど前のこと。
JR神田駅にほど近く、神田多町という小さな町がある。
靖国通りを北に渡れば、
幸いにして戦災から焼け残った旧連雀町だ。
この多町は1丁目がないのに
2丁目がある人を食った町だが
ここで鳥のメンチカツを発見した。

           =つづく=

 
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2008年11月25日(火)

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