「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第638回
遊郭がこの町にあった

お江戸日本橋から東北東に進路を取り、
スタスタと歩き始めれば、
5分少々で人形町の交差点に到達する。
江戸時代初期には江戸きっての遊郭、
その名も吉原がこの界隈にあった。
大門通りという通りの名前に
そのよすがを偲ぶことができる。

吉原の呼び名は旧町名の芳町(葭町)に由来する。
もとはといえば葦(あし)の生い茂る湿地であったらしい。
葦は悪(あ)しに通じて縁起が悪いというので
良しに通ずる葭(よし)にすげ替えられたと聞いた。
したがって水辺に生える葦と葭は同じ植物である。
葦を葭にしちゃったのだから
ついでにもっと縁起のいい吉(よし)にしちゃえという
乱暴者がいたらしく、結局は吉原に落ち着いた。
縁起を担いではみたものの、
明暦の大火で消失の憂き目に遭い、
直後に浅草田圃の千束に移転して現在にいたっている。

由緒のある町だけに食べもの屋も老舗揃いだ。
色街につきものの洋食屋が殊に多い。
天ぷら屋もかなりの数に上る。
鮨屋が少ないのが意外といえば意外。
今回はこの空間に身をおくだけで
タイムスリップして幸せになれる「太田鮨」を訪れる。

春まだ浅き夜に独り、つけ台に陣を取ったときには
車海老・酢あじ・蒸しあわびなどをつまみながら
キリンラガーと大分の麦焼酎と鹿児島の芋焼酎を飲んだ。
香川県は観音寺の蝦蛄(しゃこ)が
江戸前とまでいかなくとも、かなり良質でうれしい誤算。

にぎりでは平目・小肌・すみいかが
それぞれの個性を発揮して秀逸。
真鯛は腹ではなく背身でにぎってもらう。
まぐろは赤身のづけをお願い。
玉子とかんぴょう巻きで締め、
上がりは真鯛の切り身の入った鰹出しの吸い物。

近著「昼めしを食べる」の取材で伺ったとき、
初めてつけ場に立つ先代の姿を拝見した。

親子二代の揃い踏み photo by J.C.Okazawa

いかにも江戸前の鮨職人を思わせる風貌に
しばし見とれてしまった。
失礼ながら、セガレにまだその風格はない。

お値段1800円也のおまかせにぎりは
一の皿・二の皿・三の皿から成っている。
まずは一と二をご覧下され。

にぎり7カンの一の皿 photo by J.C.Okazawa


にぎり2カンに太巻き1つの二の皿 photo by J.C.Okazawa

それぞれの鮨種は
一の皿が後列左より時計回りに
中とろ・平目・赤身に近い中とろ・
するめいか・かんぱち・小肌・いくら軍艦。
二の皿は左から
ほたるいか軍艦・出し巻き玉子太巻き・煮帆立。
これに三の皿が巻き簾できっちり巻かれた巻きもの。
この日、われわれは二人連れだったので
かっぱ巻きとかんぴょう巻きを分け合った。
「昼めしを食べる」でも指摘させていただいたが
ランチタイムの粉わさびには目をつぶるとして
割り箸だけは出していただきたい。
指先の移り香が気になって仕方がないのだ。


【本日の店舗紹介】
「太田鮨」
 東京都中央区日本橋人形町1-5-2
 03-3666-6415

 
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2008年12月11日(木)

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