「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第673回
しばし別れのパレスホテル(その3)

明日、1月31日をもって一時閉館となるパレスホテル。
最後のお別れをするために訪れると、
閉館を惜しむように特別展示会が催されていた。
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館内の「スワンルーム」や「クラウンレストラン」では
現在、クラシックなフランス料理を食べることができる。
中でも伊勢海老のテルミドールはとりわけ思い出が深い。
芝公園内のホテルでウエイターをしていた頃、
結婚披露宴のフランス料理の定番がこれだった。
銀色のプラッターで10〜11人前を持ち回るのだが、
これほど盛り付けの楽な料理はなかった。
ウエイター同士でよく配膳のスピードを競ったものだ。
空になったプラッターを厨房脇の洗い場に下げ、
その足でディッシュ・ウォーマーの中の
熱いミートプレートを担当する人数分、用意する。
この皿は次のコースの肉料理のためだ。
肉料理は9割がた牛フィレ肉のポワレであった。

別館の小さな部屋では往年の
ディナーショーのポスターが展示されていた。
サム・テイラー、ブレンダ・リー、
シルヴィー・ヴァルタン、懐かしの顔ぶれが並ぶ。
宝塚歌劇団との因縁が浅からぬことも判った。

1961年10月1日にオープンした
パレスホテルの前身はホテル・テート(帝都)。
GHQ主導のもと、外国人向けホテルとして生まれた。
その後、建物と周りの環境を好感した米政府は
米国大使館事務所として転用することを希望する。
そこを関係者が奔走して、その計画を阻止するに至る。
何となれば天皇陛下のお膝元に
星条旗ぱたぱたとはためいていては
いたずらに敗戦国の国民感情を刺激するからだった。

玄関を出て内堀通りを日比谷方面に向かった。
館内のレストラン「スワンルーム」の
名前の由来となったお濠には
つがいの白鳥とキンクロハジロの群れが遊んでいる。
キラキラと光る水面(みなも)を眺めていて思った。
この光景は数十年前とまったく変わっていないと――。

それから数日後、一昨日の水曜夜のことだが
麻布から浅草に向かうタクシーが皇居前に差し掛かる。
すると闇の中に突然、パレスホテルが浮かび上がった。
オレンジ色の灯りが豆粒状になって
ステッチのごとくにラウンジを縁取っている。
たとえ3年後に建て替わったとしても、
それはすでにこのホテルとは別のものだ。
二度と見ることのないパレスの姿を目に灼き付け、
あらためて別れを告げると、何だか自分の青春に
アディオスしているような気がしてきた。

 
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2009年1月30日(金)

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