第698回
昔のピザはこうだった(その1)
ひと頃のブームが収束した感はあるが
ピッツァは完全に日本人の舌に溶け込んだようだ。
ナポリからピッツァ専用の焼き窯を運び込んで
本格的なピッツァを提供する店がずいぶんと増えた。
本場イタリアでピッツァの位置付けは夜食。
ローマあたりでも夜の9時にならないと
開店しない店が少なくない。
もちろん焼き置きを1枚ずつ小分けにして販売する
テイクアウトの店は一日中オープンしている。
日本にピッツァが上陸したのは
東京オリンピックの頃だったと記憶している。
本場のものとはだいぶ異なって
やや小さめながらそのぶん厚みはあった。
定番のマルゲリータとは
似ても似つかない形状と味だった。
とにかく具が多く、
チーズのほかに玉ねぎとピーマンは
欠かせないものだった。
ピッツァではなく、ピザだったのである。
そんな昔懐かしいピザの専門店が
品川区・大井町にあって、名を「オリガノ」という。
イタリアン・ハーブのオレガノからの由来だろうか。
以前はニコン通りのそばにあったのだが
現在はそこからほど近い場所に移転していて
その移転先を訪れた。
実に7年ぶりの「オリガノ」である。
卓上のタバスコが色とりどりだ。
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こんなに揃えなくとも・・・
photo by J.C.Okazawa
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このタバスコを見かけると、
ピザよりも喫茶店で食べたナポリタンや
ミートソースを思い出す。
この店の主力メニューはピザとドリア。
初めてドリアにお目に掛かったのは
東京プリンスホテルの敷地内に
今でもある「プリンス・ヴィラ」である。
ときに1971年、大昔のハナシだ。
当時、街に流れていたのは
尾崎紀代彦の「また逢う日まで」、
五木ひろしの「横浜たそがれ」、
そして小柳ルミ子の「わたしの城下町」。
それぞれにその年のレコード大賞、
男女の新人賞に輝いた曲である。
この日は食べ歩き仲間のM倉サンと一緒。
週末の昼下がりのことで
せっかく大井町までやって来たのだからと、
「オリガノ」1軒にとどまらず、
このあと三ツ又交差点にある日本そばの
「吉田家」にはしごする予定であった。
ビールを我慢して待つことおよそ15分。
雑談に花を咲かせているうちに
ミックスピザとチキンドリアが
同時に運ばれてきた。
=つづく=
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