「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第747回
日本のピザとイタリアのピッツァ(その1)

いきなり夏が訪れたかのような大型連休明けの週末。
連休後半から季節外れの梅雨入りを思わせる
雨天が続いてクサクサしていたあとだっただけに
これは素直にうれしかった。

とにかく雨が嫌いである。
雨が好きな人というのはあまり聞かないが
人一倍嫌いなのである。
 J.C.殺すに刃物は要らぬ、
 雨の三日も降ればよい
とまあ、そういうことなんですわ。

土曜日は不忍池のほとりから
喧噪の秋葉原を足早に突っ切り、
折しも神田祭でにぎわう神田を抜け、
日本橋・京橋を経て、銀座の歩行者天国を縦断した。
ストレス解消にうってつけの散歩を楽しむことができた。

翌日曜日の午後。
丸ノ内線・新高円寺において昼下がりのコンサート。
吉原友恵・石ア菜々ご両人による
フルート&ハープの共演である。
「母が教え給ひし歌」と題したコンサートは
たっぷり2時間。
美しい音色に耳を澄ませば、
美しきわが心もよりいっそうの透明度を増す。

スタートして間もなくの「荒城の月」と
ショパンの「ノクターン嬰ハ短調」がすばらしい。
「荒城の月」はいわずと知れた土井晩翠の詩に
滝廉太郎が曲をつけた傑作だ。
その後、夭折した廉太郎が
最後の力を振り絞って書き上げた作品に
「憾(うらみ)」というピアノ曲がある。
常々、この曲が前述の「ノクターン」に
よく似ていると思っていたJ.C.は
虚を衝かれるのと同時に、望外の歓びを感じていた。

「憾」も「ノクターン」も互いに死に臨んだ
音楽家の悲劇性が不滅の芸術に昇華しており、
聴く者の心を揺さぶらずにはおかない。
それぞれに二人の遺作である。

コンサートの最後の曲(アンコールの前)、
「チャールダーシュ」は大好きな作品につき、大満悦。
ハンガリーの民族舞曲を
意味するタイトルを持つこの作品は
ナポリ出身のヴィットリオ・モンティが
自らのために書き上げたマンドリン独奏曲。
それが今となっては
ヴァイオリンで演奏されることのほうがずっと多い。

わが家にもCDが1枚あって
かつて池袋の「銀座ライオン」が生演奏を
楽しませてくれた時代に実演者だった
デュアル・コルテスから直接買い求めたものだ。
こちらは女性のヴァイオリンと男性のギターの共演。

けだるさと激情が交互に繰り返される佳曲は
野球のピッチャーにたとえれば、
緩急の球の出し入れに長けた芸術的投法。
はたしてフルートとハープのコラボレーションも
聴き応えじゅうぶんで観客を魅了した。

「食べる歓び」の前に「聴く歓び」を満喫したあと。
総勢6+1名で早めの夕食である。
+1名というのは中学の同窓生、
K野サンの孫のM琴チャン。
この3歳の女の子が
この日の食卓の主役を演ずることになるのであった。

            =つづく=

 
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2009年5月14日(木)

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