「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第764回
肉責め 地獄か 天国か(その2)

ドクターH本の送別会で
墨東は本所の肉処「まるい」に来ている。
一同、2階の座敷に上がり込み、
牛・馬・鶏肉をまんべんなく注文したところだ。

3卓あるうち、ほかの2卓は若者たちが占め、
牛肉を中心にオーダーしている。
馬刺しを頼む声は聞こえてきても
焼き鳥なんぞは見向きもされていない。
串を打たず、長ねぎと一緒に登場する地鶏焼き鳥は
この店の必注科目の一つと言えなくもない。
それを外してしまうのだからもったいない。

今の世の中、猫も杓子も牛肉、牛肉のオンパレード。
牛丼・焼肉・ハンバーガーを始め、
ステーキですら安価なチェーン店が増えている。
安いことはよいことなれど、
日本人の味覚の平均化、というより平凡化、
それが招いた味覚の劣化、まさに憂うべし。

家庭のご馳走がすき焼きだった昭和30年代。
庶民が外食で牛肉を食べる機会は少なかった。
そりゃ、すき焼き屋やステーキハウスが
街中にあることはあった。
洋食屋でビフテキとビーフシチューを
食べることもできた。
しかし簡単には庶民の口に入らない。
入ったのは牛すじの煮込み程度でなかったろうか。

日本人が外でかくも牛肉を食べるようになったのは
何と言っても焼肉ブームがきっかけだ。
東京の街に焼肉屋が雨後の竹の子のように
増殖し始めたのは昭和40年代に入ってからのこと。
当時は食堂の焼肉定食と区別するために
朝鮮焼肉と呼ばれていた。
あの頃はキムチだって朝鮮漬だった。
しばらくの間はお年寄りにキムチは通じなかった。
それが間もなく朝鮮漬のほうが
死語になったのだから、世の移り変わりは激しい。

焼肉とキムチの話題はこれくらいにして
墨田区・本所の肉処「まるい」である。
一番初めに仔牛のレバ刺しが運ばれた。
2人前を注文したのだが
そのボリュームたるや、焼肉店の6人前はあるだろう。
面々の顔色が激変して、目がらんらんと輝き始めた。
幼なじみの紅二点、
F元&M松コンビの入れ込みがことさらに激しい。
かつての竹馬の友もときの移ろいを経て
今や牛飲馬食の友となれり。
哀しからずや。

確かに仔牛のレバ刺しはうまい。
でも、こんなにドーンとこられると、
うれしいんだか苦しいんだか、判別不能だ。
経験したことはないが
レバーの食べ過ぎは痛風を誘発するという。
おそるおそる2枚目のレバーに箸をのばしたとき、
色鮮やかな馬刺しが登場した。

ヌメヌメと艶っぽい馬刺し
photo by J.C.Okazawa

サッポロの赤星ラガーをすかさず追加する。

            =つづく

 
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2009年6月8日(月)

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