「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第845回
レストラン業界もまた栄枯盛衰

例年より早く訪れた今年の秋。
それでも9月中旬の、とある日は
秋晴れ直下にきびしい残暑が東京の街をおおっていた。
ふらり上野のお山にやって来たJ.C.は
不忍池のほとりからあてもなくバスに乗り込んだ。
見るともなしに見た行く先は早稲田であった。
不忍通りをひたすら進んだバスが
音羽の護国寺門前に差し掛かったとき、
再びあてもないのに気が向いて下車する。

目白台への坂を上る途中、ある店の前で思わず立ちすくむ。
「レストラン パ・マル」のシャッターが下りていて
「テナント募集」のパネルが貼られているではないか。
「パ・マル」といえば、一世を風靡したビストロのハシリ。
全盛期には予約が困難だったことをよく覚えている。

その日は、雑司が谷―目白―落合―新井薬師―中野と
踏破し、そこから吉祥寺まで中央線に乗ったあと、
独り井の頭公園を散策して再び久我山まで夜の道を歩き、
浜田山に至ったのであった。
気に入り中華の「しむら」で小宴を張ったのである。

12時過ぎまで飲み、いささか酩酊していたが
帰宅後にフード・ダイアリーを拡げてみた。
「パ・マル」を訪れたのは1998年1月だった。
米国から帰朝後間もないその頃は
昼食こそオフィスのある三越前界隈で食べているものの、
夜ともなれば、あちらこちらに出没していた。

門仲のくじら料理屋、都下・稲城の洋食屋、八重洲口の雀荘、
千葉県・柏の鮨店、三田のフレンチ、赤坂の中国料理店、
芝浦の料亭、永田町のホテルのパーティー、
まさに連日連夜の飲み食い歩きである。

そんな日々の一夜、「パ・マル」に4人で現れていた。
ニューヨーク時代にTBSのラジオに出演していたときの
担当ディレクターのA子サン、会社の同僚のM子サン、
部下のK山クンといったメンバーである。

何を味わったのかというと記述がヤケに素っ気ない。
ワインは白がブルゴーニュで
赤はコート・デュ・ローヌ。
料理のほうは、前菜が海の幸を添えたラタトゥイユ、
主菜は牛舌と豚足の赤ワイン煮である。
AサンとMサン&Kクンは互いに初対面のため、
料理の分配やお皿の交換がまったく成されていない。
J.C.は食後酒にりんごのブランデーの
カルヴァドスを1杯飲んでいる。

思い起こせば、満席の狭い店内が
活気にあふれていたのが昨日のことのようだ。
「驕れる平家は久しからず」――
けして驕ったわけではなかろうが
食べ物商売の難しさをつくづく実感させられる。

ひょっとしたら移転かも? 試しに電話を掛けてみた。
それでもやはり転番案内がないところをみると
発展的退去でないことは明白だ。
各業界がそれぞれに苦境に立つ今日この頃、
レストラン業界の栄枯盛衰もまた、
源平の時代と変わることがないのだろうか。

 
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2009年9月29日(火)

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