「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第853回
オリンピック開催への道

久しぶりにスポーツネタいきます。
秋の夜長の影響か、このところ夜更かしがヒドい。
でもそのおかげで日ごろあまり見ないTVを通じ、
貴重なイチローの退場シーンを生で見ることができた。
こんなチャンスは一生に一度しかめぐってこない。
望外の僥倖と言うべきであろう。

ブラジルのリオが2016年オリンピックの開催地に
決まった瞬間もしっかりTVの前にいた。
それにしても開催地の選出方法って
あれでいいんだろうか?
客観的に見て、すんなりリオでよさそうなのに
ずいぶん遠回りをした挙句、
「おい、おい、下手打つとマドリにさらわれるぜ」――
無用なハラハラドキドキを味あわせてくれたものだ。

リオ・デ・ジャネイロは過去に2回落選してるし、
南米では初の開催ということも相まって
他の立候補地が余計なチャチャを
入れることもなかったのではないかしら・・・。

ロンドンに続いてのマドリード。
いわゆる「欧・欧連荘」がクローズアップされた。
そんなことより同じスペインのバルセロナ五輪は
ついこの間の1992年のことである。
カタルーニャ州のバルセロナとは
「文化も人種もちがうんだ!」って叫ばれてもなァ。
「そりゃ、おタクたちの内政問題じゃん」って
言っちゃいたくもなるし――。

シカゴもシカゴである。
オバマさんの応援演説は「シカゴはわがふるさと」を
強調するだけで中身が空っぽ、思想や理念に乏しかった。
第一、同じアメリカのアトランタ開催が1996年。
20年に2度もアメリカでやられちゃ、
他国はたまったものではない。
ついでにL.Aに至っては1984年と1932年、
たかだか半世紀の間に2回も栄誉に浴している。
あのアテネでさえ、2度目の開催に漕ぎつけるまで、
1世紀以上の歳月を費やしたというのに――。
この辺り、図々しいアメリカ人の面目躍如、
あいや、厚顔無恥の本領発揮と言うべきか。

東京だってヨソ様のことばかり言えませんぜ。
アテネに倣って1度やったら100年は我慢しなきゃ。
しかもアジアじゃ、北京がやったばかりじゃないか。
勝算の薄いレースに無駄な税金をつぎ込んだ責任は
けっして軽くはないよ、慎太郎さん。
「周りの意見に耳を貸す兄貴じゃないんだ」――
草葉の陰で嘆く裕チャンの気持ちがよく判る。

ここでJ.C.の提案。
再び日本に夏季五輪を招聘するにあたっては
まず立候補地を慎重に選びましょう。
と言っても各都市が勝手に手を揚げるんだから
傍(はた)で止めても止まるもんじゃないけれど・・・。
それでも立候補地にはそれなりのふさわしさと
説得力が求められてしかるべきなのだ。

そこでですネ、
世界と人類の平和を高らかに謳い上げ、
核廃絶を目指して、地球上における「唯二無比」の被爆地、
広島・長崎の共同開催に打って出るのはどうだろう。
W杯の日韓共同開催の例もあるし、
両都市間の距離だって運営上、
まったく問題にならないくらい近い。
そして何よりもこの2都市ならば、
緒外国の理解と賛同を得られるはずだ。
なんびとも表立って世界平和に反対はできんもん。
ひょっとするとオバマ大統領が
応援演説に駆けつけてくれたりもして――。

 
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2009年10月9日(金)

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