「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第892回
悲劇の日曜日(その1)

11月最後の日曜日。
この日は観なきゃいけないスポーツ番組が目白押し。
大相撲は前日に白鵬の優勝が決まっていたし、
千秋楽の結びもほぼ結果が判っているので
見逃しても大きな問題にはならない。

問題は午後のゴルフと夜のボクシング。
ゴルフのカシオワールドは最終組から目が離せない。
心情的には丸チャンを真っ先に応援したい。
二番目はやっぱり遼クンかな。
“諸葛孔明”も嫌いな選手じゃないけれど、
去年この大会で勝ったからもういいでしょ、という感じ。

ボクシングの下馬評は亀田やや有利だったろう。
当日のTBS「サンデー・モーニング」では
スポーツコーナーのご意見番の張サンが
「長引けば内藤だ!」と語っていたが
「それはまったく逆でしょう」と思った。
35歳を迎えたボクサーに12Rはキツいに決まっている。

本来なら夕方からTVにかじりつくはずが
たまたまこの日は昼過ぎからフルスケジュール。
念入りにビデオをセットして家を出た。
まずは日比谷の映画館で話題作の「沈まぬ太陽」。
そのあと東銀座のビストロで夕食だ。
この店は後日、また改めてリポートしたい。

今時3時間超えの映画が商業的に成り立つんだろうか?
そんな疑問を抱えたままシートに座った。
途中10分間の休憩を挟んで終映。
やはり冗長に過ぎたというのが正直な感想。
いくつかのワーグナーのオペラ同様に
削るつもりになれば、削れる部分がいくらでもあった。

カラチ・テヘラン・ナイロビ・ニューヨークと
立て続けに海外ロケが敢行されたものの、
何だかつかみどころのないコース料理みたいだった。
制作費もずいぶん掛かったことだろう。
大金を投入して撮った映像は
そう簡単にオミットできるものではない。
すべてを取り込んだ若松監督に欠けていたのは
“捨て去る勇気”である。

長編のわりに退屈はしなかったけれど、
欠点・難点が随所に見られた。
原作を読んでいないので一概に決め付けられないが
もっとも気になった点を1つだけ指摘させて貰う。
1960年代のことだから今とは時代が異なるとはいえ、
平気でアフリカ象の眉間に弾丸を撃ち込める人間が
御巣鷹山の遺族の世話に精魂傾けることなどできようか?
一観客として心情的についていけなかった。
それにつけても極悪ハンターはびこる無法地帯では
野生動物が激減するのも無理はない。

東アフリカ3カ国(ケニア・ウガンダ・タンザニア)を
J.C.が旅したのは1973年。
映画の殺戮シーンからほんの数年後のことである。
幸いにもその時代になると、
野生動物のための国立公園が整備されて
彼らは一見、平和に暮らしていた。

ビストロでの夕食もそこそこに
ワクワクして帰宅したJ.C.は
おもむろにTVのスイッチをオンにした。
それが悲劇への第一歩であることも知らないで――。

              =つづく=

 
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2009年12月3日(木)

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