「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第902回
元祖満洲焼きを味わう(その1)

はずしてしまった天ぷらのあと、横浜の街をさまよった。
伊勢佐木町から関内、そして大桟橋へ。
この桟橋は心に残る思い出深きスポット。
ソ連船に乗ってここから初めて海を渡ったのだった。
時に1971年3月25日。
あの日から周囲の景観がそれほど変わったとも思えない。
ただ、桟橋自体がモダンに生まれ変わった。

桟橋の突端にある国際客船ターミナルには
柔道着みたいなのを着込んだ外国人の数がヤケに多い。
「何じゃこりゃあ!」――思わず松田優作みたいに叫ぶ。
何のことはないスポーツチャンバラの国際交流だった。
チャンバラがこんなにも海外に普及していたとは驚きだ。

一番統制の取れていたネパールチーム
photo by J.C.Okazawa

大桟橋の隣りの山下公園へ。
この日はまだ11月上旬、天気晴朗の午後は気持ちがいい。
ついでに中華街を冷やかすか、ということになった。
ところが週末のチャイナタウンは芋を洗うようで
まさに夏の湘南海岸さながら。
人疲れしてしまい、とある喫茶店のドアを押した。
J.C.はめったに喫茶店には入らない。
コーヒーを飲まない(食後のエスプレッソは別)からね。
したがってここでもビール。
今度はキリンラガーの小瓶だった。

ほどなく隣の席に男性ばかりが数人入ってきた。
おっ! そのうちの1人は何と往年の名歌手、
菅原洋一サンではないか!
「夜のヒットスタジオ」では口さがない司会者の
前武サンから“3日前のハンバーグ”なんて
あまり有難くないあだ名を頂戴してたっけ・・・。
このところまったくTVでは見ないが
元気の様子に見受けられ、よかった、よかった。
彼が「今日でお別れ」でレコード大賞に輝いたのは
J.C.が横浜港を発つ3ヶ月前の‘70年12月のこと。
これも何かの縁、懐かしさがこみ上げる。

どうにかこうにか時間をやり過ごし、
H三クンと連れ立って野毛の街に舞い戻る。
今回の遠出の目的は串焼き屋「庄兵衛」で一杯やること。
目当てはこの店の名物・元祖満洲焼きである。
ずっと満州焼きだと思っていたが、正しくは満洲焼きだった。

立て混んではいたものの、うまいことカウンターに空席あり。
本日、三度目のビールはやっとこさスーパードライの大瓶だ。
よくも飽きずに大麦のジュースばかり飲んどるよ。
ほう、目の前のケースに並ぶレバー串が旨そうだ。

新鮮そのものの豚レバー
photo by J.C.Okazawa

こいつはぜひ、のちほど頼まにゃならん。

冬場は満洲焼きをしのぐほどの人気だという牡蠣串で
当夜は快調なスタートを切った。

粒よりの牡蠣三兄弟
photo by J.C.Okazawa

焼き立てにレモンを搾り、
すかさずパクリとやって「アッチッチ!」。
食べたのは塩焼きながら、味噌焼きも選べる。

焼き鳥屋・うなぎ屋では
あれば必ず注文する新香盛合わせもお願い。

焼きとん屋のレベルを超えるぬか漬
photo by J.C.Okazawa

いいですねェ、この一鉢はまさしく優良店の証しだ。
老舗うなぎ屋の上新香と肩を並べる質の高さ。
俄然、調子が出てきてしまい、
昼の失敗をケロリ忘れる能天気な二人組であった。

             =つづく=

 
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2009年12月17日(木)

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