「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第930回
ザ・マン・フロム・ストックホルム(その1)

つい先日、スウェーデンはストックホルム在住の友人、
S水クンが一時帰国してきた。
彼は高校1年のときの同級生である。
今日から2回に渡り、彼の思い出を綴ってみたい。
いや、語ると長いから3回になるかもしれないな。

われわれは前世紀の悪法、
都立高・学校群制度の第一期生であった。
高校では中学時代より“遊び”が派手になり、
授業をサボることまで覚えてくる。
池袋がホームグラウンドだったので
ロサ会館の早朝割引ボーリングを始めたまま、
時間になっても登校せず、
喫茶店「モン・シェリ」に入り浸ったりしていた。

早くして父親を亡くしたS水クンの家は
母親と姉さんが働いていたから日中は誰もいない。
それをよいことに火曜日の午後になると、
彼の家にはしょっちゅう悪ガキどもが集結していた。
なぜ火曜かというと、午後に大嫌いな柔道の授業があり、
一族郎党、緊急避難に及んでいたわけだ。

麻雀をしたり、たった3枚しかないEPレコードを
繰り返し聴いたものだった。
ビージーズ「マサチューセッツ」、
プロコル・ハルム「青い影」、
ヒデとロザンナ「愛の奇蹟」、
今でも耳について一生忘れられない曲になってしまった。

高一も半ばとなったある日、
サッカー部で活躍していたJ.C.の姿にあこがれたものか、
彼が仲のよかったH多クンと2人でやってきて
サッカー部に入りたいと言うではないか。
当時のわが部は悪名高きOBが権勢を誇っており、
そのシゴキたるや、同じグラウンドで練習する、
野球部やラグビー部が眉をひそめるほどに過酷であった。

「2人ともやめときなよ、続くわけないからサ」
「いや、いや、2人とも決意は固いんだ」
「ふ〜ん、そうまで言うなら・・・」
てなわけで、彼らは一応、入部に及んだ。

その日から10日ほど経ったろうか、恐怖の特訓が行われた。
1年と2年の部員30数名がゴールラインに一列に並び、
全員で反対側のゴールラインにダッシュして
1着だけが抜けられるというやつで残った者は全員、
また反対のゴールラインにダッシュする。
この1着抜けが延々と続くのだからたまったものではない。
案の定、S水とH多はブービーとブービーメーカーとなった。

翌々日、2人が再びJ.C.の前に現れた。
医者の診断によると、2人揃ってアキレス腱鞘炎だという。
ともにすっかり意気消沈しており、話す言葉にも覇気がない。
「考えたんだけど、やっぱり退部することにした」
「何だ!まだ始めたばかりじゃないか、もうちょい頑張れよ」
「うん、でも・・・」
「決意は固いって、あれほど言ってたじゃないか」
「うん、でもネ、今度は辞める決意が固いんだよ」
「ハアッ?」
読者諸兄におかれましては
あんぐりと開けたJ.C.の口の大きさを想像してほしい。
まったくもって、つけるクスリはございませんな。
そうして2人は辞めていったのでした。

             =つづく=

 
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2010年1月27日(水)

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