「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第934回
ザ・マン・フロム・ストックホルム(その5)

ロンドンで仕事(もちろん労働許可証ナシの違法)を
得てからというもの、暮らしはだいぶラクになった。
中心街から北西にはずれた
ケンサル・グリーンなる田舎町から
かつて稲本潤一が所属していた
フルハムの庭付きフラットに引っ越し、
比較的優雅な生活に入ったのである。

それから半年も経ったろうか、
S水にはイギリスの水が合わなかったのだろう。
あるいは置いてきたガールフレンドが恋しくなったものか
ヤツは北の都・ストックホルムへと帰って行った。

当時、J.C.にもフランス人の恋人がいて
彼女がJ.Cなるニックネーム(第1回参照)の
種を蒔いてくれたと言えないこともない。
当時スモーカーだったJ.C.は
もっぱらシルクカットやエンバシーなど、
イギリスの煙草を吸っていたが
彼女はフランス製のジタンであった。
庄野真代のヒット曲「飛んでイスタンブール」の冒頭、
 ♪ いつか忘れていった こんなジタンの空箱 ♪
ここに出て来るジタンですね。
仏語の綴りが女性形になっており、“ジプシー女”の意。
もっとも昨今ではジプシーとは言わずにロマ人と呼ぶ。

2人で深酒をしたときなど、真夜中に煙草が切れると
たびたび彼女のジタンのお世話になった。
そのうち味を覚えてしまってイギリス煙草に戻れなくなった。
エジプト葉を使用する黒タバコのジタンや
ゴロワーズ(ガリア女)は葉巻にも似た香りが強く、
慣れてしまうともうこれでなければ受け付けなくなる。
一種の中毒作用があるのだ。
それが証拠にモナミは自分のジタンが切れたとしても
ほかの銘柄には絶対に手を出さなかった。

翌‘74年の晩夏。
S水クンのいるストックホルムを訪ねた。
3年半ぶりの思い出深い北欧の水の都である。
すぐに皿洗い(この国では合法)の職を見つけたが
何せ、この国は朝がめっぽう早く、
早起きは大の苦手につき、すぐに止めた。

その日からは私営の日本人クラブに通い、
麻雀で生活費を稼ぐ毎日。
切羽詰まると勝利の女神が微笑むようで
短い滞在の間に緑一色・小四喜・大三元と、
3度も役満を上がったものだ。
それでも夜の長い冬が来る前にズラカらなきゃと、
12月にはロンドンに舞い戻った。

J.C.がロンドンから帰国したのは‘75年夏。
S水も‘78年頃にはスウェーデン人のカミさんと
ハーフの娘を連れて日本に帰って来ていたが
若いスウェディッシュの女性に日本での生活はツラい。
ほどなく一家3人はストックホルムに帰って行った。

それから月日が流れて‘96年初頭。
こう書いてしまうと、
たった1行で20年近くのときが流れたことになる。
まさに“光陰矢の如し”ですな。
その間、S水が彼の地でタクシードライバーに
なっていることは伝え聞いていた。
どこでどうしたものか、日本人の運チャンはとても珍しい。

その‘96年冬のある晴れた日曜日の朝である。
当時、ニューヨークにいたJ.C.は
日本のビデオ屋から借りてきたNHKのドラマを観ていた。
沢口靖子主演の「ストックホルムの密使」というヤツだ。
能天気にカウチに寝そべって
カウチポテトならぬカウチビデオを楽しんでいた。
ドラマが始まって間もなく、だらだらしていたJ.C.が突如、
雷に打たれでもしたかのように
ピョコンと跳び上がったのである。

             =つづく=

 
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2010年2月2日(火)

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