「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第935回
ザ・マン・フロム・ストックホルム(その6

とうとう(その6)まで来てしまった。
ただし、意外にもこのシリーズの評判はよく、
「もっと詳しく書け!」などという、
読者の“指示”とも“支持”ともつかぬ声が
寄せられたりもしているのだ。

とは言え、そろそろ大詰め。
ニューヨークの自宅で
ドラマ「ストックホルムの密使」を観ていて
跳び上がったところである。
なぜって、画面に突然、くだんのS水が現れたのだ。
いやはや、これには驚いた。
スウェーデンのタクシードライバーがいきなりNHKだもの。
あわてて巻き戻すとキャストのちょうど真ん中あたり、
画面に単独で彼の本名がクレジットされていた。

ドラマを観終わり、さっそくヤツに電話を入れた。
訊けば、ロケ地を物色するNHKのロケ班を
市内各所に案内したのだそうだ。
ドラマでは日本語・スウェーデン語の両方に
長けた者でないと勤まらない役柄があり、
こりゃうってつけとばかりに白羽の矢が立ったらしい。
まさに瓢箪から駒のTV出演。
在ストックホルム日本大使館のお抱え運転手で
日本を売るスパイなのだが
用済みになって連合国側に始末される哀れな役柄。
でも、長回し1カットのセリフは相当に長く、
なかなかの演技であった。

そしてその夏(‘96年7月)、
ストックホルムに降り立つJ.C.の姿を見ることができた。
実に22年ぶりである。
空港にはS水が愛車ヴォルヴォで出迎えてくれていた。
これがネイビーブルーに黄色い縞模様の入った、
世にもカッコいいタクシーなのだった。
この街のタクシーは世界でもっとも美しい車体を誇っている。

S水の案内で往時住んだアパートやバイト先のレストラン、
麻雀で稼いだ日本人クラブ跡などを回った。
しばし回想にふけったあと、彼の自宅へ。
S水のヤツは仕事もさることながら、
やることもしっかりやっていて幸せな家庭を築いていた。
2度目の細君との間で2人の男の子に恵まれてもいた。
彼女は以前、日本大使館に勤めていた日本人である。

滞在中はおりからアトランタ五輪の真っ最中。
観戦のため、毎晩が半徹夜状態だ。
中でもあのヤワラちゃんが
北朝鮮の選手に敗れたのは衝撃的だった。

久々に旧交を温めてから1年後、
J.C.はニューヨーク赴任を終えて帰国した。
以来、2〜3年に1度の割合で帰って来る、
S水とは顔を合わせている。

この正月もそうであった。
数々のみやげを持ち帰ってくれて
殊に昔飲んでいたスウェーデン産缶ビールの
PrippsとNorrands Guldはうれしかった。
北欧のビールはスッキリ爽やかで
連中にエビスやプレミアムモルツを飲ませたら
驚いて吐き出すんじゃなかろうか。
あとはニシン酢漬の瓶詰やクラウドベリー(キイチゴ)と
リンゴンベリー(野生種のコケモモ)のジャムなど、
いずれも懐かしいものばかりである。

“もしもあのとき、ああしていたら・・・”を
語るのはタブーかもしれない。
だが、あえて振り返ると、
J.C.が若くして欧州に渡らなかったら
S水も行ってはいないはずだ。
ストックホルムに住み着くこともなければ、
彼の地でタクシードラーバーをしているわけもない。

ホンの些細なことから長くもない人間の一生は決まる。
たった1度、大きくハンドルを切っただけで
抜き差しならない自分の道を選ぶことにつながるのだ。

何年ぶりかで会うたびに
幸せそうなS水の横顔を見つめながら
ホッと胸をなでおろすJ.C.なのである。

            =おしまい=


「ザ・マン・フロム・ストックホルム」(全6回)
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 ■ その2
 ■ その3
 ■ その4
 ■ その5

 
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2010年2月3日(水)

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