第946回
名画「流れる」の世界
小津や黒澤の影に隠れた感があるにせよ、
成瀬巳喜男は好きな映画監督である。
最高傑作とされる「浮雲」よりも
「流れる」と「乱れる」の、両「〜れる」が気に入りだ。
この3作すべてに登場するのがデコちゃんこと高峰秀子で
J.C.がもっとも敬愛する日本の女優さんは間違いなくこの人。
彼女についてはいずれまたふれる機会もあろう。
滅びゆく柳橋・花柳界を描いた「流れる」は
幸田露伴の次女・文(あや)の小説の映画化。
作品としての出来映えもさることながら
登場する女優陣の顔ぶれが豪華絢爛。
田中絹代・山田五十鈴・杉村春子・高峰秀子・
岡田茉莉子・栗島すみ子と、
まさにいずれがアヤメかカキツバタ、である。
こんな豪勢なキャスティングは今の世の中ではもうムリだ。
1956年製作の「流れる」に
天ぷら「江戸平」とうなぎ「よし田」が映し出されている。
頼もしいことにどちらも盛業中だ。
隅田川と神田川の水質の悪化のせいで
廃れはてた花街・柳橋にあって
この2軒のほかに今もなお生き残るのは
料亭「亀清楼」、天ぷら「大黒家」、甘味処「にんきや」と
江戸料理の「伝丸」くらいになってしまった。
今日は「伝丸」のお食べ得ランチを紹介しよう。
まずは店のたたずまいをご覧いただきたい。
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粋な黒塀が印象的
photo by J.C.Okazawa
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どうです、いい感じでしょう?
暖簾をくぐり引き戸を引いて店内に足を踏み入れると
右手に金魚鉢を配したカウンター、
左手は入れ込みの座敷になっている。
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まるで映画のセットのよう
photo by J.C.Okazawa
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「流れる」で山田五十鈴が仕切る芸者置屋に
そっくりな雰囲気をかもし出している。
独りでフラリと立ち寄ることが多いため、
ほとんどの場合、カウンターで昼食をとっている。
ランチメニューは5種類。
さば塩焼き・まぐろブツ・天ぷら・煮魚・
銀鱈西京焼きである。
さば塩だけが800円でほかは950円と価格差があり、
さば塩がサービスメニューといった位置づけだ。
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こんがり焼き目の付いたさば塩焼き
photo by J.C.Okazawa
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ナリは小さいが複数の小鉢がうれしい
photo by J.C.Okazawa
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住まいのすぐ近くなのでたびたび訪れ、
全種目制覇を成し遂げた。
塩焼きや西京焼きは材となるサカナを
明記しているのに煮魚にはそれがない。
その日の入荷次第で金目になったり、
かれいになったりするせいだ。
一番お世話になっているのは天ぷらと煮魚。
この2種類が全体の8割がたを占める。
あとの2割近くがさば塩である。
なぜならば、銀鱈は脂がシツッコく、
あまり好まないのが第一の理由。
そしてまぐろブツ自体は嫌いではないが
生魚は酢めしで食べたいのが第二の理由だ。
鮨屋のちらしは好物なれど、
和食屋の刺身定食には取材を除き、まず手を出さない。
遠征しても柳橋の橋本体以外に
これといって見どころのない狭いエリアだが
昼めしにせよ、晩酌にせよ、
「伝丸」は一訪の価値ある“下町遺産”である。
【本日の店舗紹介】
「伝丸」
東京都台東区柳橋1-6-3
03-3851-3432
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