「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第959
銀座の「あら輝」の訪問記(その1)

世田谷は上野毛で一世を風靡(?)した、
鮨店「あら輝」が満を持して銀座に乗り込んで来た。
開店は2月16日、その半月後の昼に訪れた。
ツレは某グルメ評論家である。
昼・夜1回転ずつの営業はおまかせだけで内容は同一。
いくら掛かるか検討がつかないから
フトコロには普段よりずっと多めの福沢翁を携えた。

昼の開店は12時ちょうど。
面白いのは夜のほうで19時半のスタート。
19時半という時間の設定に
夜の銀座の事情通ならピンとくるハズだ。
この時間に始まり、しかもおまかせ一本やりでは
クラブのホステスを伴う食事は無理。
あからさまに同伴客をリジェクトしているのである。
もっともそれなりの“力”を持つママやチーママは
そこを何とかやり繰りして到来するだろう。

つけ台の左隅に2人おさまり、
お運びの若い衆にビールの銘柄を訊ねると、
エビスとプレミアム・モルツの2種類のみ。
あれェ、確か上野毛時代にはドライがあったハズだぞ。
口には出さぬが胸の奥でつぶやいた。
 “ あら輝よ、オマエもか!
   勘違い コタツで母の 手をにぎり ”

ってね。

そうだ、せっかく上野毛時代を思い出したのだから
新生「あら輝」を語る前にこの店が
まだほとんど無名だった頃にタイムスリップしてみよう。

初訪問は今を去ること7年半前、2002年9月末の夜だった。
伴ったのは今回のオッサンとは似ても似つかぬ美女である。
ここで突然、八神純子のプロデビュー曲が脳裏をよぎった。
♪ 思い出は美しすぎて それは悲しいほどに 
      もう今は別々の夢 二人追いかける ♪

ホントだね、思い出は美しいや。

ダダ話はさておき、その夜の「あら輝」。
まずは“召し上がりモノ”を紹介する。

刺身・・・・あら・さば・いわし
つまみ・・・あら皮ポン酢・蒸しあわび肝添え
      ばふん海胆・新いくら
にぎり・・・平目・小肌・車海老・赤貝とそのヒモ
      煮はまぐり・まぐろ赤身づけ
      焼き真鱈白子・穴子・まぐろ赤身

赤字は花マルで、まぐろがよかったことがよく判る。
皮切りに九州産のあらを持って来たのは
「あら輝」に掛けたのだろうか。
寸評にはこうあった。
この時期のまぐろとしては特筆。
逸品の赤貝は閖上(ゆりあげ)産だろう。
まだ若い親方はハナシ好き。
鮨屋が好きで好きでたまらないという感じの鮨職人。

そのとき彼をゲラゲラ笑わせたオヤジギャグを披露する。
覚えておられる方も多かろうがこの頃、
多摩川に現れたアゴヒゲアザラシのタマちゃんが
目の上に釣り針を引っ掛けてしまい、
メディアが盛んにその模様を報道しており、
たまたま(ギャグではない)話題がタマちゃんに及んだ。

「ときに親方、あのタマちゃんの目の上の傷だがね・・・」
「ハイ、ハイ」
「あれは傷じゃないんだってね」
「エッ? それじゃ、一体なんッスか?」
「実はだね、あれはだよ、あまり大きい声じゃ言えないが
どうやら傷じゃなくって、アザラシイ(痣らしい)」

お時間がよろしいようで――。
じゃなかった、明日も「あら輝」は続きます。

             =つづく=

 
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2010年3月9日(火)

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