「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第961回
銀座の「あら輝」の訪問記(その3)

東銀座の歌舞伎座前、
新生「あら輝」にてビールの小瓶は2本目。
昼酒とはいえ、小瓶の2〜3本は飲んだうちに入らぬ。
おっと、隣りのアル中正規軍のことを
とやかく言えた義理ではないぞ、こりゃ。

感心しない蒸しとこぶしの次は
大ぶりに切られためじまぐろが
針海苔と白胡麻をまとって2切れ。
これにはかつお出汁の特製醤油が出されたが
通常の醤油でも遜色なく、満足度は星がれいを上回った。
本まぐろの幼魚のメジは関西ではヨコワと呼ばれる。
初がつおにも似た、可憐な香りを持つサカナである。

厚岸産の海胆が小鉢に2粒並んだ。
「あら輝」はこの産地の海胆にこだわる。
初回のときも厚岸のばふん海胆だった。
今回は赤み掛かったのと白いのが1つずつ。
ばふん海胆とむらさき海胆かなァ?
両方ともむらさきなのかもしれない。
訊ねるつもりが、つい訊きそびれてしまった。
コク味の深さでは、ばふんに分があろうとも
華やかな香気と甘みでは、むらさきが勝る。
それにしても誰が名付けたか馬糞海胆、
もうちょっと言い様があったろうに・・・。

つまみのしんがりはサッと煮た子持ちの小やりいか。
ナリは小さいながらも腹腔にギッシリと抱卵している。
上野毛「あら輝」初訪問の数ヵ月後、
祐天寺「鮨たなべ」で店主と交わした会話が思い出される。
今回の「あら輝」にそっくりの小やりいかを出して親方曰く
「子どものやりいかが子を持ってて、軽く煮てみました」
すかさず応えて
「こりゃあいいや、生モノの合い間にちょうどいい」

J.C.は子持ちの“小やりいか”だと思っていたが
親方はどうも子持ちの“子やりいか”だと言いたいらしい。
別段、気にもせずにモグモグとやりながら突如ひらめいた。
「やっぱり子持ちの子どもってのは変だよ」
「そうッスかねェ。こんなに小さきゃ、まだ子どもでしょ」
「だけどサ、卵を抱えてるってことは
 身体が小さくてもレッキとした親なんじゃないの」
「?? アッ、そうか! 言われてみればそうッスね、
 こいつはもう親なんだなァ」
2人で顔を見合わせ、笑い合ったことだった。

ところ戻って、銀座「あら輝」。
小やりいかのあとはにぎりである。
初っ端はツレの評論家が先刻、
声をひそめて「食べたい」とささやいた真鯛の松皮。
松皮というのは薄紅色の鯛の皮目を湯引きして残すシゴト、
その模様を松の幹に見立ててのことだろう。
サカナでもフルーツでも皮と身の間に旨みが凝縮しており、
硬い皮を持つサカナは駄目だが、鯛の皮は幸い柔らかい。

ところが「あら輝」、柔らかいのは鯛皮だけではなかった。
酢めしのにぎり方までかなりのソフトタッチ。
箸を使ったら崩れかかり、危うく落とすところだった。
巻きものならいざ知らず、にぎり鮨を指でつまむのは嫌い。
必ず箸でいただいている。
その理由は、また明日。

              =つづく=

 
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2010年3月11日(木)

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