「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第971回
お稲荷さんが消えてゆく

作者は此処で筆を擱(お)くこ事にする。
実は小僧が「あの客」の本体を確かめたい要求から
番頭に番地と名前を教えて貰って
其処を尋ねて行く事を書こうと思った。
小僧は其処へ行って見た。
ところが、その番地には人の住まいがなくて、
小さい稲荷の祠(ほこら)があった。小僧はびっくりした。
――とこう云う風に書こうと思った。
然しそう書く事は小僧に対し少し惨酷な気がして来た。
それ故作者は前の所で擱筆(かくひつ)する事にした。

いきなり「何事か!」と思われた読者も
少なからずおられることでしょう。
実はこれ、志賀直哉の数少ない傑作、
「小僧の神様」(新潮文庫)の末尾部分を引用させてもらった。

少年少女の頃、ただ字ヅラを追うだけで、
何の理解もできなかった本を、成人してから再び読んでみると、
前とは全く違った感動や興味をおぼえてビックリした、
という経験は、だれでも持っていることだろう。
私もまた同じおもいを何回かしたけれど、
少女の頃から今日に至るまで、一貫して心に住み続けている、
忘れられない短編小説がある。
それは、たった十数ページの短編小説である、
志賀直哉著「小僧の神様」である。
ある秤屋(はかりや)の小僧が、
見知らぬ他人(ひと)に思いがけなく鮨をご馳走になり、
その人を神様ではないか、と思う。
ただそれだけのストーリーだが、
初めて「小僧の神様」を読んだとき、
私の眼から涙があふれ出して困ったことを覚えている。
そして、当時少女俳優だった私は
「もし、自分が少年俳優だったら、
この仙吉という小僧の役を演(や)ってみたい」と思った。
きっとうまく演れる、という自信があったからである。

こちらは元女優・高峰秀子のエッセイ集、
「おいしい人間」(文春文庫)の中に収められた一篇から引用。
「小僧の神様」が好きな高峰秀子が大好きなJ.C.である。

J.C.が「小僧の神様」を読んだのは比較的近年のこと。
本当に15ページ強の超短編だったが、強く心に残った。
冒頭に引用した小説の末尾に虚を衝かれたのだ。
そしてここからが突拍子もない連想だが
以来、東京の街に稲荷寿司屋を見るたびに
この小説が脳裏をよぎるようになってしまった。
厄介なことである。困ってしまうのである。

都内各地に点在する「伊勢屋」のように
餡コロ餅や豆大福を一緒に並べて
お稲荷さんを商う店ではそうはならないくせに
専門店だと必ずよぎる。
殊にうらぶれた店構えの場合は“よぎり度”が高い。

上野の「きつ音忠信」と「きつね寿司」、
根津「三花」に白山「宝らい」と
廃業・休業合わせて名店が次々に姿を消してゆく中、
押上「味吟」、千石「おつな寿司」、
清川・向島・北千住に計3軒ある「松むら」、
こういった店々の存続は喜ばしい限り。

千駄木「いそ貝」にもいつまでも残っていてほしい。
先日も一番小さい折詰めを買い込んできた。

稲荷寿司&海苔巻きの詰合わせ
photo by J.C.Okazawa

4個ずつ入って何とこれがたったの410円也。
単純に1個当たりの値(あたい)を求めれば、51.25円である。
スーパーの化調まみれの稲荷寿司なんざ、もう買えませんな。
心温まる価格設定は庶民の味方以外の何者でもない。
昭和の味を懐かしむ近所のお爺ちゃん、お婆ちゃんには
“神様”のような存在ではなかろうか。
いつも開いているわけではないので
遠方からお越しの向きは、事前に電話確認を忘れずに。


【本日の店舗紹介】
「いそ貝」
 東京都文京区千駄木2-39-2
 03-3821-4218

 
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2010年3月25日(木)

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