「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第974
子どもの頃から 好きな焼きとん(その1)

焼き鳥と焼きとんの、どっちが好きか?
と問われると、迷わず焼きとんと応じます。
なぜか?
食べものの好みに理由づけは無粋だけれど、
人それぞれの生い立ちに
深く関わっていることは確かだろう。

今は昔、長野で事業に失敗した横須賀生まれの亡父は
母と2人の息子を抱えて、なじみある東京に舞い戻った。
言わば、都落ちの真逆ともいうべき所業ですね。
最初の2〜3年は親戚や友人を頼り、
都内のあちこちをさまよう居候暮らしが続いた。
たびたび母が箪笥から自分の着物を出して
質屋通いをしていたから
着の身着のままの上京ではなかったにせよ、
生活の困窮ぶりは子ども心にも理解できた。

小学生の頃、よく父親と2人して東京の街を歩いた。
なぜか母と弟を置いて出掛けるのだ。
J.C.の町歩き好きはこの頃に培われたといってよい。
東京の街並みは大きく変貌したが
未だに昔とあまり変わらない場所も少なくない。
皇居前広場と日比谷公園、浅草寺界隈から墨堤、
上野の山と不忍池、神楽坂から早稲田周辺、
みんな今でも好きなエリアである。

2人で出掛けたときの外食はほぼワンパターン。
昼めしは粗末な町の中華屋で柳麺か湯麺。
当時、餃子なんてほとんど見掛けることがなかった。
あとはたまに庶民的な鮨屋でにぎりを一桶。
夜となれば、決まって大衆酒場だった。
これでビールと焼きとんの味を覚えてしまった。
とは言え、そこはやはり子どものこと、
レバーやシロの甘いタレに魅了されたのだろう。
甘辛いみたらし団子のつもりでカブりついていると、
そのうち団子より美味しく感じるようになった。
必然的に大福やキャラメルの魅力が薄れ、
高じて現在のデザート嫌いに発展したのである。

焼きとん好きになったのには
長い海外生活の影響もあろう。
世界中どこへ行こうと鶏肉は手に入る。
砂糖・醤油・日本酒もまたしかり。
七色唐辛子や粉山椒だって入手困難ではない。
となると焼き鳥のタレが簡単に出来るし、
そもそも塩焼きならば、塩さえあればよいわけで
焼き鳥は誰でも作れる簡単な料理なのだ。

これが焼きとんだと、そうは問屋が卸さない。
探そうにも“問屋がない”のだから仕方がない。
あの味ばかりは海外にはない。
香港や台湾に豚の臓物料理は数あれど、
食感も味付けも別物なのである。

一時帰国するたびに焼きとん屋に駆けつけた。
もちろん、鮨屋や鰻屋にも出掛けるが
それは時差ボケが抜けてからでも遅くはない。
いの一番に焼きとんで日本のビールであった。
ビールも焼きとんも不味くなるから
成田に着陸する前の機内食にはまず手をつけない。
ホテルのチェックイン後、すかさずシャワーを浴びたら
有楽町のガード下へ一目散でした。

             =つづく=

 
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2010年3月30日(火)

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