「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1018回
こいつはアカンぜ! 大分ラーメン

東京で最初に人気を集めたご当地ラーメンは
何といっても札幌ラーメンだろう。
紹介されたのは昭和20年代末期のことらしい。
となると、日清食品が即席チキンラーメンを
発売する数年前ということになる。

そもそも紹介と普及とは意味合いがまったく異なる。
広く人口に膾炙(かいしゃ)し始めたのは
サンヨー食品がサッポロ一番しょうゆ味を
売り出す昭和41年あたりだったろう。
味噌味のイメージが強い札幌ラーメンだが
インスタントは醤油味で始まったのだった。

本場・札幌では大正末期に
北大前に開業した「竹家食堂」が元祖。
札幌の元祖ラーメン店が
そのまま札幌ラーメンの元祖という位置付けらしい。
たまげたのは本州に近い函館の街には
明治初期からラーメンが存在していたという事実だ。
東京のラーメン店のさきがけ、
浅草「来々軒」の誕生が明治43年だから
函館のラーメン史には遠く及ばぬことになる。

大正13年(12年説あり)の「竹家食堂」開店時、
ラーメンは塩味(醤油説あり)だった。
われわれ東京人にとって
もっとも札幌的なラーメンはやはり味噌味だろう。
「味の三平」が味噌ラーメンを
初めて売り出したのが昭和36年のこと。
そして東京の街角を札幌味噌ラーメンが席巻し始めたのは
昭和40年代も半ばに差し掛かってからだと記憶する。

札幌に端を発したご当地ラーメンも
今や、博多・喜多方・熊本・尾道・和歌山・旭川・
横浜・米沢・佐野、そして東京と枚挙にいとまがない。

高田馬場駅前から東に向かう早稲田通り沿いに
大分ラーメンの「大分宝来軒」を見止めたのは数ヶ月前。
九州のラーメンはどこへ行っても豚骨だから
おおよその見当がつくものの、大分ラーメンは未食である。
その夜はたまたま界隈の雀荘で卓を囲む予定。
そういう場所での食事は気が進まぬから
軽く腹ごしらえをするつもりでいた。
ケバケバした店先周りの悪趣味に心萎えながらも入店する。

注文したのはシンプルな大分ラーメン。
これが基本形で値段は600円也。
わりと時間が掛かって運ばれたどんぶりを彩るのは
肩ロースの焼き豚1枚、大きめの海苔、
大量のきざみねぎ、そして珍しい金胡麻。
ほう、なかなかに役者を揃えてきたではないの。

麺は博多ラーメンと見まごうばかりの細麺。
ああ、やっぱりそうだったね。
ここまでは想定通りの成り行きだ。
ところがスープを一口すすってギャフン。
なんだよ、このしょっぱさは! こいつはアカンぜ!
替え玉1つが無料らしいから
それを考慮して濃い味付けにしたのかもしれない。

卓上には通常の赤い紅生姜のほかに国産の薄紅色のものも。
あとはニンニクチップやらナムルもやしやらが並んでいる。
隣りに座った学生が同じ大分ラーメンにライスと餃子を頼んだ。
遅れて来たのにこちらが麺を食べ終える前に早くも替え玉だ。
なるほどねェ、この塩辛さなら替え玉もライスも問題ない。
それにしてもあきれるほどよく食うな。
もっともかく言うJ.C.だって高校時代は
ラーメン大盛り&ライスを軽くクリアしていたものなァ。


【本日の店舗紹介】
「大分宝来軒」
 東京都新宿区高田馬場2-8-6
 03-3205-0337

 
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2010年5月31日(月)

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