「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1060回
相撲と賭博と日本人(その2)

それにしても此度、よく耳にした言葉に
“反社会的勢力”というのがあった。
これって何だ?
使う連中はなけなしの知的な雰囲気を醸しているつもりでも
ハタで聞いていて「バッカじゃなかろか!」と、
あきれ返るのはJ.C.だけだろうか。
いかにも遠回しにして的の外れた言い様は
直接ゴールを狙えない間接フリーキックさながら。
なぜハッキリ暴力団と呼ばぬ。
こんな曖昧模糊とした言葉を使う人間の怪しいこと、
胡散臭いこと、まことに不愉快千万なり!

今回の理不尽な重罰の元凶は
本来、分けて裁かれるべき賭博の罪と
暴力団と通じた罪を合体化したことにある。
暴力団との関連性を問えば、昨年の名古屋場所で
彼らに多くの桟敷席を手配したことのほうが罪深い。
しかるに此度の罰のほうが格段に重いのは、これいかに?

判りやすく柔道に例えるならば、
賭博と暴力団で合わせ技一本とするべきところを
足し算の代わりに、いろいろゴチャゴチャと
掛け算をしちまったから一本どころか
三本に値するほどの厳罰が下されたのである。
「罪を憎んで人を憎まず」の真逆、
罪を過大化して人を憎んでしまった結果がこれ。
そんなことすら見抜けぬうえに相撲協会の尻馬に乗って
煽りに煽ったメディアも目をおおうばかりの程度の低さ。
知的洞察力を備える報道関係者やジャーナリストは
もう日本にはいないのか!

親方や大関をクビにするヒマがあったら
世の中には糾弾しなければならぬ巨悪が
ほかにウジャウジャあるじゃないか!
一流商社や銀行の経営中枢に身を置きながら
総会のたびに暴力団とツルみ、賭けゴルフに興じる連中など
これまでJ.C.は腐るほど見てきた。
それが貧相なこの国の現状であり、
彼らこそ“反社会的勢力”そのものではないか!

そうそう、昔むかし、
賭け麻雀でとっ捕まった野球の選手がいた。
「不倫は文化」発言で名を馳せたタレントに
まな娘を奪われちゃった哀れな父さんだが
お仕置きは極めてゆるいものだった。
バクチでもクスリでもこれが芸能界となると
もっとユルユルのフニャフニャになる。
どうして相撲界ばかりがいつも厳罰に処されるのかね?

騒動にからんで退職願いを提出した貴乃花親方も
一時はメディアにさんざん叩かれた一人だ。
あれは“辞任願”と“退職願”を
取り違えてしまったというのが真相。
理事を辞するつもりが
協会からの退職を意味する“退職願”としたためちゃった。
自分独りで処理しようとしたがゆえに発生した過ちで
子どもの頃から学校へ行く間も惜しんで稽古に励んだ身、
その辺りの一言一句は大目に見てあげましょうよ。

思うに貴乃花の所業はむしろ立派だ。
あの行動を無責任と切り捨てた親分衆、協会関係者、
評論家、メディアの目は節穴以外の何物でもない。
貴乃花は十両のけつっぺたからでもいいから
琴光喜を出直させてやってくれと懇願したそうだが
罪を罰するにささやかな温情を込めて
筋がきっちり一本通った主張だと得心する。

見るからにやんちゃな貴闘力。
いつも覇気がなさそうに見えちゃう琴光喜。
人間的にはどちらもすごくいいヤツだと思う。
涙ながらに琴光喜の“助命”を嘆願する貴闘力の姿には
正直言って胸を衝かれた。
「みなさんの力で何とかならないもんでしょうか?」――
アホはアホなりに切羽詰ってこう訴える人間に対し、
マイクを向ける側の人間たちは
揃いも揃って冷たく突き放すだけ。
日本人ってこんなにも非人情で残酷な民族でしたっけ。

結局はスケープゴートにされた二人。
彼らの将来に幸多からんことをあらためて祈りたい。
貴闘力よ、琴光喜よ、
何のタシにもならないけれど、
J.C.オカザワはアンタたちのサイドに立ってるぜ!
今まで楽しませてくれてありがとう。
そして本当にご苦労さん。

 
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2010年7月28日(水)

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