「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1062回
わがふるさと長野へ(その1)

去年の夏に訪れた軽井沢の山荘に今年も出掛けた。
総勢5人のうち、4人が麻雀打ち。
紅一点が厨房をあずかる主婦兼シェフである。

今回の目的はまず麻雀。
涼しいところで思いっ切り打つ腹積もりだ。
そして上田市内のそば屋と長野市内の洋食屋を訪ねること。
何を隠そう、J.C.の生まれ故郷は長野市で
生家は善光寺本堂から徒歩3分の至近距離にある。

前回、長野を訪れたとき、生家はまだそのままだった。
19年前のあの日のことはよく覚えている。
1991年8月19日、ソ連のゴルバチョフ大統領が
共産党保守派に幽閉された日であった。
ラジオからは夏の甲子園、石川代表の星陵高校と
地元長野の松商学園の実況中継が流れていた。
当時、星陵には現エンゼルスの松井秀喜がいたのだから
まさに隔世の感がある。

今回の旅行は渋滞を避けて金曜の深夜に出発。
軽井沢に到着したのは午前2時過ぎだった。
それから明け方まで卓を囲んだのだから
みないい歳をして嫌いじゃないのだ。
その朝は2時間ほど眠り、上田に向かった。
目当てのそば屋は地元で愛されている「刀屋」。
このお店、池波正太郎のファンなら
1度や2度は名前を目にしたことがあろう。
池波翁はこの店を、ここのそばを、こよなく愛した。
彼の心をつかんだそば屋は神田の「まつや」と
上田の「刀屋」が双璧だったはずだ。

上田を訪ねたのは実に半世紀ぶり。
まだ4つか5つの頃で街の記憶はほとんどない。
ここには亡父の経営する工場があった。
河川の護岸工事に使用する蛇籠(じゃかご)を作っていたが
経営難に陥ってあえなく倒産の憂き目を見、
家族揃って上京する因となったのである。
もしビジネスが順風満帆であったなら
J.C.もずっと信州で過ごしていたかもしれない。
まあ、それはなかったと思うけれど・・・。

「刀屋」はなかなかの佇まいを見せていた。

入店するわれらが一行
photo by J.C.Okazawa


店内は意外にも小ぢんまり
photo by J.C.Okazawa

旅の間は昼でも飲むのでさっそくビールだ。
銘柄はキリンのラガー、サイズは大瓶である。
乾杯を済ませておいて注文品の吟味に入った。

壁の品書き
photo by J.C.Okazawa

池波翁の記述によると、この店のそばは相当な盛りのよさ。
(普)とあるのは普通盛りのことで
これでも東京のそば屋の3枚分はあるそうだ。

無難にもりとざるは抑えておく。
こういう土地に来てまで
たぬきそばやカレーそばは食べたくない。
真田そばはそのネーミーングからして必食科目とみた。

わが一行の注文品はかくの如し。
 天ちらし2人前  もり(普) ざる(中)
 くるみそば  真田そば  かけそば

最初に運ばれた天ちらしにはご丁寧にも漬物がついてきた。

野菜の下に海老が1尾
photo by J.C.Okazawa

ほとんどの客がもり、あるいはざるをたぐり、
幸せそうな顔をしている。

           =つづく=

 
←前回記事へ

2010年7月30日(金)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ