「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1064回
わがふるさと長野へ(その3)

上田の「刀屋」で昼食をとったあと、
せっかくだから上田城址に行ってみようや、となった。
ゆっくり歩いても15分ほどの距離である。
途中出食わした映画館に心奪われて思わずパチリ。

映画から抜け出たような上田映劇
photo by J.C.Okazawa

劇場名の看板の隣りに小さく
クリエイティヴ・スポットと記されていて笑わせる。

あいにくの通り雨で散策をあきらめ、
早いとこ引き上げて囲もうや、と相成った。
一行のN中クンは運転上手のうえ、
まったくの下戸だからクルマでの旅行には
なくてはならない人材、いや逸材である。

その夜も徹夜で打ちました、やれやれ。
そして翌日は一路、長野市を目指しました。
19年ぶりのふるさとは相も変わらず善光寺の街。
仁王門・山門・本堂は変わるべくもないが
子どもの頃に好きだった亀のいる池も昔のままである。

通称・亀の池の主役たち
photo by J.C.Okazawa

参拝を済ませたら、
この惑星に星の数ほどある飲食店のうち、
J.C.の記憶に最初に残った店に向かった。
わが“初恋の店”である。
小川知子じゃないが
♪そよ風みたいに♪ しのんじゃうのである。

洋食店の名は「五明館」、以前は「銀扇寮」だった。

門前にはオサレすぎる佇まい
photo by J.C.Okazawa


創製70年を誇るうす茶アイスの立て看板
photo by J.C.Okazawa

かつて「五明館」はこれまた池波正太郎が愛した日本旅館だった。
脇に「銀扇寮」なるレストランが併設されており、
旅館の閉業に伴い、由緒正しき名前を残すために
レストランが改名されたわけだ。

J.C.が「銀扇寮」を記憶にきざんだのは4歳のとき。
前を通るたび、名物のうす茶アイスをよく母親にねだった。
それが夏場の最大の楽しみで
冬になると新しく建てられた納骨堂の脇にある、
茶店の甘酒にとって代わるのである。
ガキの頃より“茶”も“酒”も愛していたのだ。

総勢5名がそれぞれにポークカツやら
ハンバーグやら、好みの料理を注文した。
むろんのことにビールも忘れない。
選んだのは定番のオムレツ定食である。

中に鳥の挽き肉が潜むオムレツ
photo by J.C.Okazawa

実はこのオムレツにも思い出がある。

亡くなった「五明館」の先代は
若い時分に帝国ホテルで修業をした人。
その成果がオムレツやアイスクリームにも反映されている。
その先代とJ.C.の母親がたまたま友人同士で
幼い時代に食べさせられたのは先代直伝のオムレツだったのだ。
池波翁が滞在中の朝食に
ビールの小瓶とともにやったのもこのオムレツである。

食事の締めくくりは当然、うす茶のアイスクリーム。

うす茶アイスと19年ぶりのご対面
photo by J.C.Okazawa

見るからにザラッとしてクリーミーな感じはしない。
だからこそ舌の上に清涼感を運んでくれる。
ハーゲンダッツの抹茶アイスも美味だけれど、
あちらは芳醇にして濃密、こちらは冷涼にして淡麗。
モンローとヘプバーンの如く、まったくの別物なのである。

            =つづく=


【本日の店舗紹介】
「レストラン五明館」 
 長野県長野市大門町515
 026-232-1221

 
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2010年8月3日(火)

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