第1153回
星のおそば屋様(その4)
恵比寿のそば割烹「翁」に来ている。
ここをそば懐石の店とする人は少なくないが
“懐石”と呼ぶには違和感がある。
八寸・向附があるでもなく、お椀・お造りも出てこない。
それに主(料理長というべきか)は
包丁の腕を振るうというより、食材と客の仲を上手に取り持つ、
言うなれば、仲立ち人を務めているように思えるからだ。
女店主は麻布十番界隈に3軒乱立する永坂更科系の本家筋、
「総本家 永坂更科堀井 麻布総本店」の血を引くお方。
屋号の「翁」から、そば打ち名人と謳われた高橋邦弘氏が
起こした同名店を思い浮かべるが、まったくの無関係。
少々紛らわしいし、古希を迎えた女将が率いる店なのだから
「翁」より「媼(おうな)」のほうがふさわしいのでは?
コースの主役の一翼を担う魚貝類盛合わせが登場した。
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そばつゆでヅケにした魚貝たち
photo by J.C.Okazawa
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生わさびから順を追って時計周りに
平目・帆立・平目エンガワ・車海老、真ん中が白イカ。
イカはヒョッとすると赤イカか墨イカかもしれない。
歯当たりが柔らかく、するめイカでないことは確かだ。
脂の乗ったエンガワだけはアサツキにポン酢、
ほかはすべてヅケ仕立てとなっている。
さて、J.C.が最初に箸をつけたのはどれでしょう?
オメエの食う順番なんか興味はないよ、ってか?
まあ、まあ、そうおっしゃらずに考えてみてくだされ。
実は平目からいただきました。
ヅケはまぐろの赤身に限るという御仁は多けれど、
中とろであれ、白身であれ、それぞれに旨いものだ。
帆立も海老もまことにけっこうであった。
続いてはこれも主役ののどぐろ(赤むつ)塩焼き。
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見るからに大ぶりなのどぐろ
photo by J.C.Okazawa
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立派なサイズは♀とのこと。
のどぐろは♂よりも♀のほうが大きく成長するのだそうだ。
何だか蚤(のみ)の夫婦みたいだが「翁」は♀のみを扱う。
確かにこのサカナはある程度のサイズにならないと
本来の旨味が生まれてこない。
二枚看板のあとは小粋な佳品が2鉢。
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おろし生姜をあしらった冷やしズイキ
photo by J.C.Okazawa
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そば粉入り生麩の揚げ出し
photo by J.C.Okazawa
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ズイキには芋茎の字を当てるくらいで芋の葉柄のこと。
里芋や蓮芋の茎を食べるのである。
舌ざわりなめらかにしてひんやりと箸休めに恰好だ。
その道に詳しい方なら食用ではないズイキをご存知だろう。
そば粉と小麦粉を練り合わせた生麩には
そばの実と辛味大根のおろしがたっぷり。
そばがきの純朴さとは異なる、品のよさが見てとれる。
しんがりを務める真打ちが登場した。
魚貝のヅケも塩焼きののどぐろも
締めのそば抜きでは光彩がかすむ。
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深紅の紅柄皿に純白の更科そば
photo by J.C.Okazawa
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色彩のコントラストがお見事。
生わさびにさらしねぎ、薬味も繊細だ。
甘みを蓄えたつゆに箸先のそばをちょいと浸してすすり込む。
更科、いわゆる御前そばの真価がいかんなく発揮されている。
清酒に例えれば、大吟醸に当たる更科そば。
大吟醸酒にさほどの魅力を感じぬ舌も、そばの大吟醸は大歓迎。
二八や田舎とは異次元にある更科、洗練の極みがここにある。
=おわり=
【本日の店舗紹介】
「翁」
東京都渋谷区恵比寿西1-3-10ファイブアネックスB1F
03-3477-2648
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