「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1168回
想い出のスクリーン

年の瀬に往年の名シンガーソングライター、
八神純子のアルバムを聴きながら
書架の隣りで積み上がっているDVDを整理していた。
かなりの数のビデオテープも混じり、
しっちゃかめっちゃか感の漂う棚である。
彼女の曲では「想い出は美しすぎて」が一番好き。
大ヒットした「みずいろの雨」も独創的ですばらしい。

3ヶ月ほど前に数十年ぶりで観た「勝手にしやがれ」と
年に1度は再見する「アパートの鍵貸します」を
隣り同士に並べたとき、曲が「想い出のスクリーン」に替わった。
あらためて見つめてみれば、2本とも想い出深い作品である。
舞台がそれぞれパリ、ニューヨークの仏映画と米映画が
日本で公開されたのはちょうど半世紀前の1960年。
主役のJ=P・ベルモンドとJ・レモンもさることながら
ヒロインのジーン・セバーグとシャーリー・マクレーンの
可愛い姿が今も目に焼きついている。

わが人生に大きな影響を与えた映画、
「太陽がいっぱい」の公開が奇しくも同じ年。
ラスト近く、A・ドロンと手をつないで
浜辺に向かうマリー・ラフォレも可憐で綺麗だった。
一時期、さほど上手くもないシャンソンを歌っていたが
彼女は今、どこで何をしているのだろう。
気がかりである。

10日ほど前、TSUTAYAから借りてきて
これまた数十年ぶりで観た「逢う時はいつも他人」が
偶然にも1960年の作品だった。
原題の「The Strangers When We Meet」よりも
邦題のほうがタイトルとしてはずっと素敵で奥が深い。
K・ダグラスがミスキャストながら
相手役のキム・ノヴァクはやはりいい。
ヒッチコックの「めまい」で立証された通り、
謎めいた役柄を演じさせたら彼女の右に出るものはない。
チェコの出身らしいが、プラハにあんな美人はいなかった。
スクリーンでの仕事に恵まれなかったのは
お宝女優の存在に気づかぬ映画界がボンクラだったのだ。

「想い出のスクリーン」にちなんで乗りかかった船、
映画当たり年の1960年に公開され、
今もなお、心に残る作品を洗い出してみた。
すると、あるわ、あるわ、この年は傑作・佳作の宝庫であった。
欧州からはフェリーニ「甘い生活」、アントニオーニ「情事」、
トリュフォー「ピアニストを撃て」。
米国はヒッチコック「サイコ」、スタージェス「荒野の七人」。
ひるがえって邦画に目を転ずると、
黒澤明「悪い奴ほどよく眠る」、小津安二郎「秋日和」、
大島渚は「青春残酷物語」と「日本の夜と霧」、
そして大好きな有馬稲子がはかなくも美しい「波の塔」。
監督は中村登で、同じく好きな桑野みゆきも出ていて
J.C.にとっては盆と正月が一緒に来たようなものだった。
この年、桑野は「青春残酷物語」のヒロインもこなしており、
かくも輝かしき女優の早すぎた引退が惜しまれてならない。

数多く映画化、TVドラマ化された松本清張原作の作品では
この「波の塔」がもっとも記憶に残っており、
繰り返し、繰り返し観ている。
この日も棚の整理が済んだあと、またもや観返してしまった。
ロケ地を訪ねて武蔵野の深大寺に出掛けたりもした。
その際にイメージを壊さぬため、
有馬稲子に似た女性を伴うことに力を注いだものの、
現実はそんなに甘くなく、ゲットしたのはひいき目にも
やっとこさテニスの伊達公子であったなァ。

つい数日前、NHK総合でたまたま観たドキュメンタリー。
自殺者があとを絶たない富士山の青木ヶ原樹海で
自殺志願者と思しき怪しい来訪者に声を掛け、
思いとどまるように説得する人たちの
ボランティア活動を報ずる番組だったが
いまだに毎年、数千人が亡くなっているという。
にわかに信じがたい、恐るべき数字ではないか。

図らずも樹海が自殺の名所となったのには
「波の塔」が深くかかわっている。
小説を枕にしてこと切れている女性が発見されたくらいだ。
映画ではヒロインが着物姿で樹海に踏み入ってゆく、
ラストシーンが美しすぎてブームが巻き起こってしまった。
男は夢に破れ、女は恋に破れて希望を失い、
死を選ぶ人も自らの人生にピリオドを打つときは
ひとすじのロマンを求めるのであろう。


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2010年12月27日(月)

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