「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1183回
高峰秀子の思い出(その3)

高峰秀子は幼少時に歌手・東海林太郎の養女となるハナシが
持ち上がったほど彼に可愛がられ、
母子(母は養母)ともども東海林家に身を寄せた時期があった。
それがいろいろと屈折した事情から結局は親子で出奔する騒動に発展、
その後も歌謡界や映画界に波紋が及ぶこととなった。
東海林との因縁はただそれだけのことだが
幼い彼女の心が傷ついたことは想像に難くない。

好むと好まざるとにかかわらず、
子どもの頃から大人の世界を生きてきた彼女の
人を見る目はこんなことからも養われたに相違ない。
そこで20年近くも前に出版されたエッセイ集「おいしい人間」である。
タイトルが「食べる歓び」に通ずるものがあり、
何となく親近感が湧くので愛読書にもなっている。
彼女の人となりが発露している箇所を
食べもの関連に限っていくつか拾ってみたい。

 テレビ局の古い友人に口説かれて
 久しぶりに「ワイドショウ」とやらにチラッと出演した。
 それも、私の嫌いな、例の、ご馳走を一口食べて、
 「ウム、美味い」と言う、いとも下品なる料理番組だった。

いや実に、他人事ではないけれど、おっしゃる通りですなァ。
テレビ局の友人も顔色を失ったことでしょうが
料理店の批評本なんか書いているJ.C.なんか、
彼女に言わせりゃ下品の極みの下郎じゃござんせんか。
首筋寒く、いと哀し。
トホホという言葉はこういうときのためにある。

 ロケーション撮影や夜間撮影に支給される食事は
 汽車弁かおにぎり程度で、
 これも「エサ」そのものという感じだから、たまの休みには、
 それこそ身分不相応な食事でもはりこんでやらなければ、
 精神衛生上にも欲求不満でひっくり返りそうになる。
 私は結婚前に、レストラン「シド」で松山サンと何度かデートをして
 好物の「うずらのフォワグラ詰め」を楽しんだ。
 昭和三十年の結婚披露宴会場は「シド」。
 ディナーのメインは「うずらのフォワグラ詰め」だった。

ひゃ〜あ! 1955年に本格的フランス料理で披露宴でっせ。
実はこの料理、J.C.の大好物で
初めて口に入ったのは1972年のことでした。
それにしても汽車弁ってのが、何ともいいですなァ。
誰がいつから言い出したんだ、“駅弁”なんて!

=夫・松山サンの入院時や老後のための「老人食」レシピ=
 ■合の子卵
  茶碗蒸しと卵豆腐の中間くらいの柔らかさにするため、
  卵二個と、卵の二倍の出汁を混ぜて蒸し上げる。
  その上に、少し濃い目の八方出汁とおろし柚子を混ぜて、
  たっぷりとかける。
  これも、かきまわせばストローでのめます。
 ■ピータン粥
  冷やご飯をチキンスープでトロトロに煮込む。
  八角を入れて、香りがついたら引きあげる。
  ピータンを刻んで入れ、
  少し煮たら長ねぎのみじんとおろしショウガを入れて火をとめる。
  調味料は、五香塩だけ。

八方出汁・八角・五香塩でっか?
さすがだね、デコちゃん。
「老人食」といえども、この人の料理は過不足なくきわめてシンプル。
だが、ツボはけっして外さずに鋭い。
人を見る目と食材や調味料やまな板やキッチンレンジを見る目が
まったく一緒なのである。
どうでしょう、お宅にも食事をむずかる爺さん・婆さんがいたら
「高峰秀子サンのレシピですよォ」なんてすすめると、
けっこう食べてもらえたりして。

3日間書いて、まだ書き足りない。
サッカーのアジアカップも始まってるというのに――。
まっ、いいか、明日ももう1回いっちゃいましょう。
何たって、最愛の女優サンだもの。

            =つづく=


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2011年1月17日(月)

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