「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1184回
高峰秀子の思い出(その4)

まだ書いてますよ。
こうなると、秀子に捧げるレクイエムですな。
荒木一郎の「君に捧げるほろ苦いブルース」でも
聴きながら書くとしましょうか。
余談ながらこの曲は「梅の実」や
「マックスへの手紙」と並ぶ大の気に入りソングだ。
メジャーコードを好む人には
「あなたといるだけで」がオススメです。
ところでアリスの「帰らざる日々」は
「君に捧げる〜」のパクリじゃあるまいか。
この疑惑が数十年もの間、胸の奥にずっとわだかまっている。

さて、さすがに世紀の大女優、ファンの数も並大抵ではない。
先週はM塩サンのお便りを紹介したが
今度は同じく読者のK合サンから以下のメールをいただいた。

はじめまして。M塩サン同様、
「食べる歓び」の愛読者で高峰秀子ファンのK合です。
思わず今日のコラムを拝見し、メールしてしまいました。
高峰ファンが「わたしの渡世日記」を読まれていない?
なんと羨ましいことか!
だって、あの素晴らしい自伝を、初めて読む楽しさを、
まだ貴方は残していらっしゃるのですから…。

こんな内容で羨ましがられちゃいました、というか、
「秀子ファンが何たる怠慢、しっかりせいや!」との
思いがこめられた叱咤激励であろう。
そしてこの方もやはり「わたしの渡世日記」であった。
読みます、読みます、重ね刷りが到着したらすぐにでも。
いずれにしろK合サン、ありがとうございました。

それにつけても最近の女優さんにはもの足りなさを感じる。
時こそ違えど、それぞれにブレークしたA.M崎もR.Y倉もN.F原も
はたまた梨園の血を引く、T.Mつ やS.T島さえも
なんか心に染み入ってこないんだよねェ。
M.H北やY.A井は好きなタイプだけど、
ともにまだまだスケールが小さいし、大女優って柄でもない。
国民的女優と呼べるのは吉永小百合が最後で打ち止めということか。
それはそうと、有馬稲子・桑野みゆき・加賀まりこ、
恋慕する女優たちはみんなゲンキにしてるんでしょうかね。

「おいしい人間」でも明らかなように
才気冴え渡る高峰秀子の著作はきわめて魅力的。
ただ、彼女のエッセイに深々とのめり込むつもりはあまりない。
まもなく届く「わたしの渡世日記」は待ち遠しいものの、
次はまたしばらく間を置きたいと思う。
そのあいだにも出演映画はひんぱんに観ることになろう。
J.C.が愛してやまないのはあくまでも女優・高峰“秀子”、
けっしてエッセイスト・高峰“筆子”ではない。

先日、高校の同期生で元スッチー(こう呼ばれるのイヤだろうな)、
O形サンが1枚の写真を送ってくれた。
浅草公会堂前には大勢のスターたちの手形が並んでいるが
新春浅草歌舞伎で訪れた彼女がパチリとやった、
秀子の手形に手向けられた白菊の写真である。
 吾もまた 純白なりと ひそやかに
いかにもそんなたたずまいの可憐な菊花だった。

高峰秀子を見送った今もなお、
世に残る伝説の女優は原節子、ただ独りとなりにけり。

             =おしまい=


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2011年1月18日(火)

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