「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1185回
好みに流儀と作法あり!

当コラムをお読みになったT梨サンからお便りをいただいた。
第1176回は「新ばし しみづ」の食事風景を綴ったものである。
どうもこのところ読者メールの紹介が続いているが
べつにラクをしようと思っているわけではない。
印象に残ったのでまずはご覧くだされ。

いつも楽しく拝読させて頂いております。
さて、今回のコラムを読んでふと思ってメール致しました。

中とろや海胆から行く人って、
最後まで白身とか光りものとか食べない印象が有ります。
あとはイクラとか海老ばっかり食べる人とか、
何だかそれは好みの問題のような気もします。

私の場合頼むのは、白身、光りもの、貝類が中心です。
そして、旬のもの、もしくは旅先の地のものを好んで食べます。
ですから、トロや海胆をすすんで口にすることは
普段はほとんど有りません。

T梨サンは自然体で鮨を食べ継いでゆく、
いわゆるオーソドックスな食べ手といえよう。
白身、光りもの、貝類に加えて穴子や蝦蛄やはまぐりなど、
煮ものも召し上がっていただきたいが
それはT梨サンのおっしゃる通り、
何だかそれは好みの問題のような気もします。
であろう。

そう、基本的に鮨屋にはおきまり・おまかせ・お好みがある。
エッ、何ですって? 出前もあるだろう! ってか?
そういうハナシはしてないでしょ、ったく。
鮨屋用語で“お好み”と呼ばれるくらいだから
おのれの好みにしたがって食べ進めばよいのだろう。

しかるに江戸前シゴトを施す真っ当な鮨屋においては
好みのほかに流儀があり、流儀のほかに作法というものもある。
以上3つがあるときはせめぎ合い、ある場合は妥協し合って
にぎりを食べるラインが構築されてゆくのだ。
流儀はにぎり鮨をおいしくいただくための流れ、
作法はつけ台を分かち合う他の客と
店側に対するマナー&思いやりのことである。

流儀に関しては再三再四、言及してきたので
マナー&思いやりについて述べてみたい。
例えば新子(小肌の幼魚)の季節に鮨屋を訪れたとしよう。
それも5尾で1カンしかにぎれないハシリのハシリだ。
そんなとき常連一人に10カンも食われたひにゃ、
他の客も店の親方もたまったものではない。
親方は当夜訪れるすべての客にたとえ1カンずつでも
食べてほしいと願っているハズ、
その気持ちを思いやれない客など常連などおこがましく、
店に張りっ付いたカサブタに等しい。

大好きなタネでもアンコールは1回と心に決めておこう。
おんなじタネを何回もリクエストしているアホは
傍目にも見苦しいことこのうえない。
アホは“鮨のメリーゴーランド”にでも行って
同じ皿をいく枚も重ねていればそれでよい。
また、数に限りのある貴重品、
真鯛の真子や平目の肝、あるいは珍味中の珍味、
鮑の口なんぞを客の見えるところに置いておいたら
それこそ取っ組み合いの喧嘩になりかねない。
そんな“貴金属”は親方自身の口に入るか、
作法をわきまえた馴染み客だけに他の客の目を盗んで
ソッと出されるのが関の山、ゆめゆめ望むことなかれ。

鮨屋におけるタブーはほかにもいくつかある。
つけ台での喫煙は迷惑極まりなく言語道断だが
素人の符丁知ったかぶりもみっともない。
シャリ・ガリ・アガリ・ムラサキ・ナミノハナ、
聞いてるほうが恥ずかしくなる。
勘定時に「大将、精算してください」というヤツ、
これも感心しませんなァ。
「親方、お勘定お願いします」――これが正しい。
最悪なのが「マスター、オアイソ頼んます」。
こういうバカは出刃を飛ばされても文句は言えない。
おっと、その前にあの世行きか。


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2011年1月19(水)

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