「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1190回
悪魔のフィッシュを食らう(その2)

昨日のつづきの前に、やはり日韓戦でしょう。
とにかく疲れてクッタクタ。
選手だけでなく、観てるほうも疲労困憊である。
残り1分で同点とされた挙句のPK戦は
分が悪いと見ていただけに歓びも格別だったが
進化を続ける日本の治らぬ2つの課題も浮き彫りになった。
60分過ぎにパッタリ止まる脚とリードを守り切れないひ弱さだ。
こればかりは、どぎゃんかせんといかん。
でも、土曜日が本当に楽しみになった。
遅れて来たお年玉と思ってありがたく頂戴したい。

さて、旬を迎えた鮟鱇を味わうために食いしん坊が6人、
神田須田町は「いせ源」に会している。
この町の以前を言えば、連雀町。
三鷹市に“連雀”を名乗る一帯があるが
どうしてこんなに素敵な町名を棄てたのだろうね。
行政の愚行は置いといて鮟鱇料理のつづき。
やって来たのはあん肝である。

あん肝好きにはたまらぬ3切れ
photo by J.C.Okazawa

身の締まった上物に肝好きならずともほほがゆるむ。
豊後くんだりまで遠征しないと肝の食えない河豚と違い、
人命尊重主義者の鮟チャンは愛おしいヤツなのだ。

「いせ源」のラベルが貼られた麦焼酎のロックに移行する頃、
メインディッシュの、もとい、皿ではないから
あえてメインポットの鮟鱇鍋がきらびやかに現れた。

派手な色彩がなくとも華やかな鍋
photo by J.C.Okazawa

ここの鍋を初めていただいたのは30年もむかし。
当時はこの鍋、こんなに美形ではなかった。

ふと思い出して仲居さんに
「今はおろしポン酢のちり鍋はないの?」
「ハァ〜ッ?」
「ホラ、割下で煮るんじゃなくて鱈ちりみたいなヤツさ」
「エエッ、知りませんよォ、それはずっとないですよォ」
「そうかなァ。お姐さん、この店に勤めて何年くらい?」
「そうですねェ、十年以上になりますけど・・・」
こんなやりとりが交わされた。
鮟ちりが姿を消してかなりの月日が流れたことになる。
もっともゼラチン質の豊富な鮟鱇は
醤油ベースの割下のほうに分がある。

鍋のあとにも2品の料理が運ばれた。

外見は河豚と見分けのつかない唐揚げ
photo by J.C.Okazawa


身肉を肝で和えたとも和え
photo by J.C.Okazawa

鍋のあとにも小品が供される、この順序が「いせ源」の特徴か。
他店はこういう順番では来ないし、
ましてや河豚の場合は鍋&雑炊がセットで大トリを務める。
鮟鱇なのに鱈腹食って、一同ご満悦のよき忘年会であった。
ただし、値段はだいぶ張るうえに
この時期の予約は6名からと、
いささかあざとい商法がチラつくことは否定できない。
まあ、これだけの建物を維持しているのだし、
間取りを考慮すれば、これも致し方なしか。

戦災を免れた旧連雀町には「いせ源」以外にも
戦前のたたずまいを残す店舗がいくつかある。
すぐ近所の鳥鍋屋「ぼたん」もそうだ。
「いせ源」では悪魔のような面構えの鮟鱇に出迎えられたが
「ぼたん」は純白の沈丁花がその役割をはたす。
あと数週間も経てば、店先をかぐわしい匂いが包むはずである。

そうだ、来月はそいつを嗅ぎがてら鳥鍋を突つきに行こう。
あそこの鍋は大人数では風情に欠け、相方と差し向かいがよい。
その際の性別は問わないけれど、
願わくば、高峰秀子似の(まだ言ってる)庶民的美人が望ましい。
そんなの周りにいるわきゃないが
今から何らかの手当てをしておかねばなるまい。
とはいいつつ、気がつけば
早や桜の季節なんてズボラはままあること。
旅の恥はかき捨てとはよくいったもので
J.C.の思いつきもまた、書き捨てになりそうな気がしている。


【本日の店舗紹介】
「いせ源」
 東京都千代田区神田須田町1-11-1
 03-3251-1229


←前回記事へ

2011年1月26日(水)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ