「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1192回
PK合戦、いまだ終わらず

先の日韓戦について、いまだに質問が届いている。
もっとも多いのは日本が取られたPKに関するもの。
不可解な、理不尽な、意味不明の、疑問符のつく、
厳しすぎる、判定ではなかったか、というものだ。
いやはや、日本語の形容詞は実に多種多彩ですなァ。

極めつきはたまたま水曜夜に買った日刊ゲンダイの記事。
 正当なチャージなのにサウジアラビア人主審は
 何をトチ狂ったのか、PKを宣したのだ。

同紙におけるサッカーライターH氏のコメント。
 朴と今野が“五分と五分”に渡り合っただけのプレーです。
 それがPKとなってビックリさせられた。

はたしてそうでしょうかね。
ちと厳しいジャッジだったことは否めないが
あれはファウルを取られても文句の言えないプレー。
なぜか?
ボールを追いながら、ボールを“見上げていた”朴智星に対し、
今野はボールを一顧だにしていないからだ。
今野は最初から本来プレーすべきボールではなく、
朴の身体を狙ってプレーしている。
“五分と五分”などと言えた義理ではなく、
朴はボールへ、今野はボディへ向かってプレーしていたのだ。
これは間違いなくファウル。
よく見ていた主審に対して
ゲンダイの記者やライターの目は節穴というほかはない。

主審は同じ理由で岡崎へのチャージにも
毅然としてPKを宣告したではないか。
日本人の悪いクセで自分たちに不利だとブウブウ言うくせに
有利とみるや知らぬが仏の頬かぶりってか? さもしいねェ。
このときは韓国DFの犯したファウルが
ペナルティエリアの内か外か微妙だった。
笛を吹いた主審はただちに副審の判断を仰いでPKとした。
オフサイド同様に真横にいる副審のほうがよく見えていたからだ。
PKシーンだけでなく全体を俯瞰しても
適切なレフェリングだったと思う。

戦いすんで日が暮れたあと、韓国内で一騒動持ち上がった。
今野が与えたPKを蹴り込んだ韓国FW奇誠庸の“猿まね”が
日本への侮辱行為として批判の矢面にさらされているのだ。
これは日本サイドの抗議によって火が点いたのではなく、
韓国内で自発的に問題視されたところが興味深い。
過去にあまりなかった現象といえる。
能天気な日本人は「そんな場面があったっけ?」てなもんで
怒るよりもむしろ面映いような、くすぐったいような、
妙な心持ちになった向きも少なくあるまい。

中国には悪いけれど、もしこれが中国だったら
奇誠庸はいつぞやの漁船の船長のごとく、
国家の英雄にまつり上げられていたかもしれない。
少なくとも内部告発的な批判はなかっただろう。
この1件をもって韓国と中国の民度を比較するのは酷ながら
国際社会を構成しようとするならば、国家にも国民にも
それなりの品位や節度が求められるのは歴然とした事実だ。

思うに、日本を含めたアジアにおける相互の友好関係や
それぞれの立ち位置、全体の枠組みといったものは
なおも曲折を経ながら熟成されていくのだろう。
それにしても問題の一因となった旭日旗は感心しませんな。
自衛隊はいまだに掲げているらしいが
アレを見ると頭の中を「軍艦マーチ」が駆け巡っていけない。
戦闘モードにスイッチオンされてしまうのだ。
ナチのハーケンクロイツを連想させもするしね。

今回の騒動は遅からず収束するはずだから
日本サイドとしても報復はむろんのことに
反発や誹謗の類いは極力控えたい。
そんなに悪いヤツには見えないし、ことが“猿”だけに
今頃は“反省猿”を決め込んでいるかもしれない。
そして“奇誠庸の行い”だけに
単なる“奇行”として一笑に付すのが大人の対応というものだ。


←前回記事へ

2011年1月28日(金)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ