「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第1208回
帝銀事件のあった町

西武池袋線で始発駅の池袋から1つ目の椎名町。
巨大なターミナル駅からたった一駅移動しただけで
ローカル色豊かな気配が漂う場所である。
駅前のうらぶれたアーケードには
昭和の残滓がそこかしこに淀んでいて郷愁を誘う。

私鉄沿線においてターミナルから1つ目の駅は
なぜかパッとしないところばかりだ。
東武東上線で同じ池袋から1つ目の北池袋も
利用客には申し訳ないが
あってもなくてもいいような駅なのである。
小田急線の南新宿、京王井の頭線の神泉、
東急目黒線の不動前、東急池上線の大崎広小路、
京急線の北品川、いずれもご多分にもれず、
巨人に寄り添う小人のような存在ですらある。

年配者が椎名町と聞いて
真っ先に思い起こすのは帝銀事件だろう。
1948年1月、犯罪史上まれにみる大量毒殺事件が
引き起こされたのは帝国銀行椎名町支店においてであった。
戦時中の‘43年に第一銀行と三井銀行の合併によって
生まれた帝国銀行は当時、預金量で日本最大の銀行。
ところが互いのソリが合わずに反目を繰り返し、
事件後の‘48年9月にはたもとを分かって第一側が離脱、
残った三井がそのまま帝銀の名を引き継いだ。

その後、第一は勧業銀行との合併を経て
富士銀行・日本興行銀行と3行の大合併、
みずほ銀行として生まれ変わった。
一方の帝銀は‘53年に旧名の三井銀行に戻し、
太陽神戸銀行との合併を経て最終的に住友銀行と結ばれた。
このあたり古代中国の合従連衡を想起させるものがある。
ちなみに事件の起こった帝銀椎名町支店は
‘50年3月に閉鎖されたままで何の痕跡も残っていない。

世紀の冤罪事件も日々風化を重ね、記憶は遠くなりにけり。
でも、この町に来ると帝銀の名が脳裏を掠めるのも事実。
先だってもそうであった。
ふらりと椎名町の駅に降り立ち、
これといったアテもなく駅周辺を歩いた。
前述のアーケードにある超レトロな中華料理屋「銀楽」。
踏切を渡ったところに灯りを点す「やきとん かど」。
以上2軒に気を引かれながらも、さらに物色を続けた。

南長崎に向かう道筋を進んでいて
俗にいう町の中華屋よりは風格の漂う「長寿軒」を見つけた。
「ここはハズすまい」――第一感を信じ、入店。
あちこちブラついて空腹感も募り、
駅前まで戻るのが面倒になったことも決断の誘因だ。

めったに頼むことのない青椒肉糸を注文した。
豚肉とピーマンと竹の子の細切りだけで余分なものは一切ない。

きわめてオーソドックスな青椒肉糸
photo by J.C.Okazawa

ビールを飲み干しても皿に料理が残っている。
ここで紹興酒のぬる燗をお願い。
酒を選ばぬオールマイティーな料理は
店の選択に誤りがなかったことを伝えてくれる。

濃い味のあとはあっさりとした塩味が恋しくなる。
肉系のあとは魚介がほしくもなる。
ついでに野菜を摂取せねば・・・。
選んだのは海鮮湯麺だ。

海老・いか・帆立が散見される
photo by J.C.Okazawa

これもまたけっこうであった。

あとで判ったことだが店主は京橋「長寿軒」の出身。
そういえば江古田にも同名の人気店があり、
そちらもやはり京橋の出らしい。
ただし、店主が亡くなられてすでに閉店。
地元では惜しむ声が今もあとを絶たないそうである。


【本日の店舗紹介】
「長寿軒」
 東京都豊島区長崎3-1-7
 03-3959-1653


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2011年2月18日(金)

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