第27回
組織ケーエイ学10: 経営ボケ。

経営者には、もちろん歴史に残る立派な人もいるが、
そこまでいかない経営者だって多いはずだ。
ところが不思議と、世の中の経営者の言葉には、
理念とか、理想とか、哲学を語るものが多い。
ぼくも、そのことがウサンくさいと感じていた。

「エジソンでさえ、
発明については人に語ることができるかも知れないが、
はたして人生について、教訓をたれる資格があるのか?」
というようなことを、
中学生のころか、遠藤周作の本で読んだ記憶もある。

会社の営業のじっさいは、仕事を取ったり取られたりで、
結局のところ金だけが価値のものさしであって、
とても高邁な理想のとどく世界ではない。
そのわりに、経営理念にしろ企業哲学にしろ、
営業の実態とはかけはなれた美辞麗句が並んでいる。
なぜ経営者がそのような現実ばなれしたことを口にするのか、
理解できない。
偉くなって自分が見えなくなったのか、
年をとって説教くさくなったのか、
つまりは、「経営ボケ」みたいなものだろう、と思っていた。

ところが、自分で会社をつくると、こんどは人に命令されることがない。
2年か3年したころから、
自分の行動とか価値判断に、基準が欲しくなる。
はじめはもちろん、ソンかトクかで、ものを考えていたはずだ。
ところが、この基準だけだと、長期的に見るのか短期的に見るのか、
その時々によって結論がことなる。
「ソンしてトクとれ」という言葉があるくらいで、
ソンなのかトクなのかわからないこともあって、どうも一貫しない。

ソン・トク基準では、そのたびに軸ブレして自分の態度が決めづらいし、
また、軸ブレしている自分を信用できない気持ちになるのである。
そうすると、
「これに従って決めたのだから、結果が出なくても仕方がない」
と思えるような、エイヤッと決めるための価値基準がほしくなる。

いまではぼくも、理念とか哲学とかを、
けっこうマジで考えている一人である。
零細企業にすぎないのに、すっかり「経営ボケ」の仲間入りだ。
自分の書くものにもエラソーな部分が出てきてると思うが、
そんなわけだから、多少のところは勘弁してもらいたい。


←前回記事へ 2002年10月3日(木) 次回記事へ→
過去記事へ
ホーム
最新記事へ