第292回
骨董品の客観的価値と主観的価値

北京には骨董品を扱う市場がいくつかあります。
そこに並べられているものは、
ほとんどはニセモノだと言われていますが、
中には掘り出し物の本物もある様です。

日本でも中国の骨董に対する興味が高まってきている様で、
わざわざ日本から北京の骨董市場に来て、
骨董品を買って行く人もいる様です。

HiQで「損する骨董、得する骨董」の連載を始められた
島津さんもおっしゃっておられる様に、
私は骨董品の価値は、非常に主観的なものなので、
人によって違ってくる、と考えています。
「好き」ならばいくら高くても買いたいですし、
「嫌い」ならばいくら安くても欲しくはありません。

ですから、その人が「好き」で買ったものに対して、
骨董品に詳しい人が
「その皿は刻印が押されていないのでニセモノだ」とか、
「その壷は清朝末期のものだから、
10,000元(150,000円)は高すぎる。
せいぜい、3,000元(45,000円)だな」とか、
ケチをつけるべきではないと思うのです。
本当にそうなのかもしれませんが、
その人がその壷が「好き」で
10,000元の価値があると思って買ったのですから、
10,000元でいいんです。

日本のテレビで「何でも鑑定団」という番組があります。
これは、視聴者がスタジオに持ってきた骨董品などを、
専門の鑑定士が鑑定して、
どのぐらいの価値があるものなのかを金額で表示する、
という番組です。

先祖代々家宝として大切にして来た壷が、
全くのニセモノで5,000円の価値しかなかったり、
土蔵に無造作に積み上げられていた掛け軸が、
実は有名な画家が描いたもので、
500万円もの価値があったり、という意外性と、
その鑑定金額を聞いた時の所有者の反応がおもしろく、
高視聴率を得ている、と聞いています。

ただ、この「何でも鑑定団」で表示される金額は、
飽くまでも鑑定士が鑑定した客観的な価値であり、
主観的な価値は人によって変わってきます。
親の形見としてもらった壷は、
いくらニセモノで5,000円と鑑定されても
かけがえのないものですし、
土蔵にあった掛け軸は、
500万円という鑑定結果を聞かなければ、
じゃまなので明日にでも捨ててしまおう、
と思っていたかもしれません。

骨董品は所有する事で、
または、家に置いて一緒に生活する事で、
心が豊かになる、という性質のものです。
故に、その骨董品の価値や値段は、
本物、ニセモノに関係無く、
その人の主観的な価値観によって
決まってくるのではないかと私は思うのです。


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