私の作品に賛成投票をしてくれたのは、大仏次郎、井伏鱒二、木々高太郎、村上元三、永井龍男の諸氏であり、反対投票をしたのは、吉川英治、小島政二郎、川口松太郎の諸氏であった。
吉川英治先生はのちに私に「自分がカン違いをした」という意味の手紙をくれた。四、五年たって私が『中央公論』に「西遊記」を五年四ヵ月にわたって連載をはじめたとき、「愛読しているよ」といってくれたのが吉川英治先生と中山伊知郎先生であった。両先生には単行本になったおり、いずれもオビの文章を書いていただいた。しかし、私にとって何より思いがけなかったのは、大仏次郎先生が直木賞選考委員として、極力、私の作品を推薦してくださったことであった。私は高校時代から『鞍馬天狗』や『赤穂浪士』の愛読者であり、戦後は『帰郷』という作品を読んだことがあるが、先生とは一面識もなかったし、まさか私の作品をあんなに強く推してくれるとは思ってもいなかった。のちに、ときどき文壇の会合で先生とは挨拶をかわすようになり、池島信平さんが私たちの会話の中に割り込んで、
「邱飯店の料理はうまいですよ。一緒に行きましょう」
と大仏先生を誘ってくれたが、どういうわけか、とうとう大仏先生のご夫妻をお呼びする機会がないままに、先生は他界してしまった。その点でも、私のご馳走政策は充分、威力を発揮したとはいいがたい。
さて、話をもとへ戻して、私の家の料理のことになるが、安岡さんの口をかりると、

―― そのご馳走の内容だが、少ないときで十二、三種類、たいていは二十種類ぐらい出る。それも一回ことに、ほとんど別のメニューがつくられるのだから、ノベにしてその料理のレパートリーはどれくらいになるのか、少なくとも百種類以上であることはたしかだろう。しかも、その料理を邱の細君が全部一人で、テンピもない台所のすみのガス台でつくるのである。一度、同行した愚妻がその台所を覗かせてもらい、料理道具が御飯蒸し一つに、シナ鍋の一つであったと驚いていたが、たったそれだけの道具で、あれだけの品数がつくれるのは、まるで魔法としか思えない。
しかし二十種類もの料理となると、じつは平らげるのも一と仕事だ。ご馳走のあるときは何日もまえに予告があるのに、前日になると邱がわざわざやって来たり、電話を掛けてきたりして、「あしたはうちのメシだからね、そのつもりでね」と念を押すのであるが、これが恩着せがましいこととカン違いしてはならない。朝から食をひかえて、なるべく腹をへらしておくようにという警告なのである。おかげで私は、その日は病院で内臓の手術を受ける患者のような気分になる。夜になるのを待ちかねて出掛けて行くと、まず当日のメニューが示されるが、漢字がたくさん並んでいるだけだから何のことやらわからない。メニューの下に参会者の氏名を書きこむのは、次回に同じ料理を出さぬための心づかいであるが演出としてもなかなか手がこんでいる。――

実は最初から色紙にメニューを書き込んで、その下にサインをしてもらったわけではないが、何回も来る人に同じ料理を出していたのでは芸がなさすぎるし、かといって全部ガラリと変えてしまったのでは、せっかく、前に食べた料理を楽しみにして来てくれた人に悪いと思ったので、いつの間にか記録を残してもらうようになったのである。私の体験からすると、前回来たときのメニューを半分くらい変えると、楽しみは倍加するように思う。

  3

←前章へ

   

次章へ→
目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ