十、小島政二郎・白井喬二・子母沢寛

小島政二郎先生というと、私は「新妻鏡」という小説で存じあげている。古賀政男メロディーの同名の歌謡曲の原作者でもある。そういうと、小島先生はあまりお気に召さないのではないかと思う。というのは、小島先生は、自分は純文学を志してきたし、その才能も充分持ちあわせていたのに、菊池寛あたりにすすめられて、大衆小説を書いてバカ当たりしたのがいけなかった、もし自分にゼイタクな女房と、金のかかる情婦がいなくて、金のために原稿を書かなければならないような目にあわなかったら、もう少しマシな仕事ができた筈だ―― と、自伝風の小説の中でも、はっきりと書いておられるからである。

しかし、私は小学生の頃に、台湾で、母親がとっていた『主婦之友』を、「子供の読むもんじゃない」と叱られながら、かくれ読みしたし、確かそのなかに「新妻鏡」をはじめとして、小島先生のいわゆる大衆小説にお目にかかっている。小島先生の時代には、純文学と大衆小説という区別があって、大衆小説は金のために書くもの、それに比べると純文学はもっとランクの上のもので、芸術的な動機で書かれるもの、と思われていたフシがあるが、私のような日本の伝統的教育を受けなかったものには、いくら説明を受けても、その区別がまったくつかない。作品には、よい作品とよくない作品というのがあるだけで、大衆小説であろうとなかろうと、よい作品はよい作品で、たとえ純文芸でも一人よがりで、多くの人の共感を得られないものは落第としか思えないのである。したがって、小島先生のようにコンプレックスを感ずる必要はサラサラないし、私の見るところでは、どちらかといえば、ある時代の人々に共感をもたれた作品の中にしか後世に残る作品は存在しないのだから、むしろ大衆の共感を得るにはどうしたらよいか努力すべきであるとさえ思えるのである。

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