十四、大編集者の風貌と条件

池島信平さんは、私などから見ると、大編集者とでも呼ぶべき偉大なジャーナリストであるが、初対面の人にとってはどこにそういう才能がひそんでいるのか、まったく見当がつかないような、愛想のよい、きさくなおじさんである。本郷の大学の前の牛乳屋さんに生まれ、商人的な雰囲気に育ったせいもあるが、頭が低く、そのまた頭の髪毛がうすく、丸い顔に眉毛さえなく、目だけがクリクリとした風貌とも関係があるように思う。
池島さんは、そのことを人一倍気にしており、わけても眉毛には人知れぬ苦労をしたらしく、女の人が塗るようなマユズミをこっそり塗り立てていた。オツムについては、私も同じ悩みをもっていたから、池島さんは自分自身を嗤う代わりに、ときどき、私をひやかした。それについては両白い話がある。
私が直木賞をもらったのは、私が三十一歳のときで、直木賞は既にプロとして多少、名の知られた人にくれるせいか、たいてい、四十五歳前後の人が多く、私は最年少であった。最近、つかこうへい君が三十四歳の若さでもらったが、いまのところまだ記録は破られていない。しかし、最年少であるにもかかわらず、当時、私の頭の髪は既にかなり後退しており、しかも密集とはほど遠い状態になっていたので、私が文藝春秋に出かけていくと、池島さんは私をつかまえて、
「邱さんは四十歳になったくらいですか?」
「いえ、まだ三十一歳ですよ」
と答えたら、びっくりした表情になって、
「へーえ。そんなに若いんですか。悩みはつきませんなあ」

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