麻油麺線とは、この鍋の中にソーメンを加えて煮たもので、鶏肉を少しにして、ソーメンを主としたものである。鶏のダシと黒ゴマ油の芳ばしさがまざったものであるから、いつもソーメンというと、冷麦ばかりという人にとっては目先が変わってよろしいし、どういうわけだか、この頃はお中元にやたらにソーメンをもらうので、夏食べきれなかった分を秋風が立ってから消化するのにはもってこいの料理であろう。
中華料理は油を多く使うというけれども、油が多いために、胃にもたれることはほとんどない。たとえば、この頃は東京でも、中国野菜やいままでなかったような新種の西洋料理がたくさん売られるようになった。通心菜とか、青梗菜とか、韮菜花(ニラの花)とか生菜(レタス)などは、いずれも油で炒めて食べるが、炒める前に水に三十分くらい浸けて水気があるようにすることと、炒めるときにガスを全開にして強火で炒めれば、失敗することはない。その場合、本当はラードで炒める方がおいしいけれども、私の家ではサラダ油を使っている。通心菜とレタスは、そのままニンニクを使って炒めただけでよいが、青梗菜は干貝柱とよくあうし、ニラの花は豚肉の少し脂身のあるところと一緒に炒めるとおいしい。肉や魚の類を揚げる場合は、最近はラードはほとんど使わなくなり、もっぱら天ぷら油、サラダ油を使うようになった。揚げてそのまま出す料理もむろんあるけれども、揚げてからまた炒めるとか煮るとかいった料理が多いから、油っこさはかげにかくれてしまっている。
それでもなお油っこさが残るとすれば、それは注文した料理に、肉類がかさなって出てきた場合であろう。こういうことは、私の家でも、メニューをコック任せにすると、ときどき起こる。中華料理屋に行くと、もっと頻繁に起こる。どうしてかというと、社会全体が貧しくて、食糧の不足した時代には、肉類は貴重な蛋白源であり、上等で高価な料理は、牛肉、豚肉、鶏肉、その内臓の類と考えられていた。だから、たとえば、私の家で精進の炒麺を食べたいと思って焼きそばをたのむ場合でも、予め念を押しておかないと、豚肉の量がそばの量より多い焼きそばが出てきたりする。まして料理屋は高いお金をいただこうとすれば、肉類の料理に重点をおいたメニューをついつい重ねてしまうから、三品、五品と似たような料理がつづくと、たちまち胸がつかえてしまう。東京の一流中華料理屋ではさすがにそういうことは少なくなったが、地方都市に行くといまでもそういうメニューの作り方をするところが残っている。

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