三十二、『邱家の中国家庭料理』楽屋話

料理に興味をもち、料理にこると、それが昂じて料理屋になったり、料理の先生になってしまったりする。私たちにもその誘惑はあったし、現に私の姉臼田素娥は、料理のうるさい家に生まれたばかりに、とうとうNHKや『主婦之友』で料理を教える料理研究家になってしまった。私が『食は広州に在り』や『象牙の箸』を書いた頃、実はうちの女房にも、放送局や出版社から盛んに口がかかった。最初の頃は、頼まれて断るのも悪いと思って、何回かテレビに出演したこともあった。しかし、女房は広東生まれで、まさか将来、東京で生活するようになるだろうとは予想もしていなかったので、日本語は勉強しておらず、東京へ来てから、見様見真似で覚えた片言の日本語だから、人前に出て喋るのがしんどい。だからたいていはお断りしたのだが、うちにいたお手伝いさんのなかで目立ちたがるのがいて、女房が断るのをきくと、「奥様、大丈夫ですよ。私がついて行きますから」と盛んに煽動する。とうとう女房もその気になって、あるとき、NHKの料理番組に出たことがあった。
アナウンサーが料理をしている女房のそばに立って、早口で何かきく。きいてわからないわけではないが、外国語で答えるとなると、答える言葉をさがすのに少し時間がかかる。女房がぐずぐずしていると、お喋りのお手伝いさんが代わりに答えてしまう。シドロモドロしているうちに、あと三分、あと一分、あと三十秒というシグナルが目の前に出てくる。慣れない女房はあがっているうえに、あのシグナルを見ると心臓が止まりそうになり、「もう駄目」といって、以後は誰がどういおうとテレビ出演はいっさいお断りということになってしまった。
料理を教えてくれないかという申込みも多かった。檀一雄さんに、「邱家のきょうだいで料理学枚をやればいい」と盛んに焚きつけられたこともあったし、檀夫人や五味康祐夫人たちが料理を習いに行きますと、日取りまできめられてしまったこともあった。また子供が学校へかよいはじめると、PTAの奥さんたちにせがまれて、とうとう週にいっぺんだったか、しばらく我が家で料理の講習会をひらいたこともあった。しかし、女房はどれにもなじめなかった。

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