"心を空しゅうして顔を正し、雑念の入り込む余地がないように努力すればよろしいのではありませんでしょうか?"と顔回が答えると、
"どうしてどうして"と孔子は首を振った。"うわべはりっぱにつくろったところで、顔色が落ち着かなければ、凡人とどれほどのちがいがあるだろうか。また相手の感情を考慮に入れながら、納得してもらおうと思っても、なかなか相手を自分の思う方向へ導くことはできないだろう。自分に執着しているかぎりは、たとえ口先ではうまく合わせていても、心のなかでは別のことを考えているにちがいないからだ"
"では内心はまっすぐにし、表面は曲げて世俗に合わせ、むかしの人の言うことをお手本にすればどうでしょうか"と顔回は言い直した。"内に直くとは天と一体になることですから、自分のことばが相手に賞められようがけなされようが問題ではなくなります。そうすれば人は私を童心をもっているといってくれましょう。また外に曲げるとは人と調子を合わせ、他人が君主の前で跪拝するなら、こちらもそのとおりに跪拝するのですから、誰も私の悪口を言う者はなくなりましょう。それから古に比するとは、むかしの人のことばを引いて説教するのですから、たとえ直言しても、自分の意見ではないのですから相手を怒らせることにはならないと思います"
"とてもとても"と孔子はまた首を振った。"策略が多すぎてなかなかうまくはいくまい。そりゃ、おまえの言うとおりにやれば、罪におとされることはないだろうが、ただそれだけのことだ。とうてい相手を感化できやしないよ"
"ではどうすればよろしいでしょうか"と顔回は聞きなおした。
"じゃ、おまえに教えてあげよう。だが、その前にまず心を清めることだね"
"心を清めるとはどんなことですか"
"精神を集中して、耳でものを聞く代わりに心で聞くことだ。いや、心ではなくて無心で聞くことだ。耳で聞けば耳でとまり、心で聞けば心にとまる。無心で聞けば、すべてのものを受け入れることができる"
"なるほどわかりました。お教えを受けるまでは、私のなかに私がありましたが、いまは私もありません。これでよろしいのでしょうか"
"そうだ、それでよろしい"と孔子はようやくうなずいた。"おまえはこれから籠の中に入って行くことになるが、名誉のために心を動かされてはいけない。聞き入れられるようなら鳴きもしようが、聞き入れなければやめればよい。自分の分を守って人につけ入るすきを与えなければ、まずはだいじょうぶだ。道を歩かなければ足跡をのこさないですむが、大地を踏まないでしかも歩くことはできないだろう。人のために働くものは偽りが多いが、天のために働くものは偽りを用いにくい。また翼がなければ飛ぶことができないように、知があるものでなければ知を誇らない。それが世の常識であるけれども、試みに閉ざされた部屋の中をじっと見てごらん。なにもない部屋のまん中にボンヤリと白いものが見えてくる。吉祥がここに集まってくる。それはじっととどまっているように見えながらけっしてとどまっていない。あたかもすわったまま駆け上って行くのである。かように耳目の受け入れるままに受け入れ、分別を捨てれば、鬼神もここへ来てやどろうものを、人が徳化されないということはあるまい。これは禹や舜のようなむかしの聖人たちでさえ、モットーとしたものであった。われわれが実行しないという手はないだろう"」

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