Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第235回
「私の戒名は『先見院力行居士』」

『死に方、辞め方、別れ方』には
邱さんが何人かの人の葬式についての試みを論評したうえで、
「自分の葬式はこうあってほしい」
と注文をつけるところがあります。
しめっぽくなる話をユーモアで包み込んで
楽しい話にしているのです。

「人のことはさしおいて、自分の葬式に対する注文を
ここに書いても、皆さんのご迷惑にはならないだろう。
私は想像力の乏しい人間だから、人の世に行きながら、
幽明境を異にするような夢うつつの生活はできない。
したがって、生きているうちに葬式を出したり、
死なないうちから墓を出したりすることはできない。
しかし、未来を見透かし、準備しておくことについては、
割合にたけた方だから、葬式はこうやってもらいたいという
注文ならできないことはない。

先ず第一に自分の葬式に坊さんは要らない。
ふだん、付き合いがないのに、
死んだ途端に坊さんに押しかけられてはたまらないないし、
しかも何を歌っているのかまったく見当もつかない
お経を聞かされたのでは、
死んでも耳を塞がなければならなくなる。

第二に戒名は不要である。
戒名にもランクがあって、
ランクの高い戒名を得ようとすると、
包み紙も莫大になると聞いているが、
それはお寺の坊さんの商売にすぎない。
高いランクの戒名を頂戴したから、
死人としてのランクが上がるわけではないし、
人にお金をだまし取られたときほど無念なことはないと、
ふだんから思っている者が、
死んだ途端に、自分の死をダシにして
遺族がお金をむしり取られるのを見るのでは
それこそ死ぬに死にきれないであろう。

だから、もし戒名がなければ成仏できないのなら、
自分の戒名は自分でつけておきたい。
私の場合は、先見性を発揮することに
無上の喜びを感じていきてきたのだから、
先見院というのがよいだろう。

また、これは良いと思うアイデアが浮かぶと、
それを実行に移さなければ気がすまない方だから、
力行居士とでもいうのがふさわしいであろう。
こう書いただけで、自分の戒名は
もう出来上がってしまったようなものだから、
どの字にどれだけの値うちがあるかこだわらなければ、
これで100万円ぐらいは節約になったのではあるまいか。」
(「自分の葬式はこうやってほしい」
『死に方、辞め方、別れ方』に収録)


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2003年4月19日(土)

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