ガンを切らずに10年延命-関根 進

ベストセラー「ガンを切らずに10年延命」の著者
(元・週刊ポスト編集長)再開・新連載!

第16回
≪三菩薩≫のパワーで、この世に引き戻される

今回の緊急入院には迷った挙句、
最後に相談したのが山田幸子婦長さん
(現・帯津三敬塾クリニック総婦長)でした。
このくだりは、まえに
「ガンは絶望病にあらず」の最終回にも書きました。
山田さんには、12年前、食道ガンで帯津先生の診断を
お願いした時に、「ガンはあきらめないで。
ゆっくりと考えればいろいろな方法がありますよ」と、
抱擁する如くに迎えてくれ、
以来、不安なときはいつも頼りにしておりました。

僕が、5年、10年、12年と、食道ガンを切らずに
養生している間も、ときどき、通院中のロビーなどで
お会いすると、「関根さんは、私たちの宝物だからね」と
温かく手を握り締めてくれた人です。励まされました。

ところで、僕は、あまり、あの世=彼岸の夢など見ませんが、
病棟のベッドで、深夜、一人さみしく目を覚ましていると、
残念にも若くしてガンで亡くなった
盟友たちの姿が浮かび上がりました。

食道ガンで亡くなった作家の倉本四郎さん、
白血病の日本CI協会の専務理事・花井陽光さん、
肺ガンで亡くなった原田康平さん、脳腫瘍の小澤和子さん、
僕の敬愛する外科医の土屋繁裕先生・・・。
僕たちの患者懇親会=スローヘルス研究会で
楽しく語らい合った仲間たちの懐かしい笑顔が、
たびたび枕元に現れては消えるのです。
そして、僕の手術明けの10月21日には、なんと、
子宮頚ガンから骨髄の病気で
エッセイスト・逸見晴恵さんが亡くなるという、
とても悲しい訃報に接したのです。

僕は、痛む腹を押さえながら、
「みなさん、待ってて下さい。
もうすぐ、僕もそちらに行きますから」と思わず、
声をかけたくなる不思議な気分に襲われたことが、
何度かありました。
そして、うつらうつらとしながら早朝、
寝入っているとどうでしょう?
早朝5時半ころ、なんと、この病院の元総婦長の山田幸子さんが、
出勤まえの大切なひと時を割いて、
僕の病室に見舞いに来てくれるのです。
熟睡しているときは、そのままお帰りになったそうですが、
眼を覚まして、山田さんがいらしているのに気付くと、
満面に笑みをたたえて、グッと、僕の冷たくなった
両手を握りしめて、「だんだん良くなりますよ」と、
自らの「気のパワー」を伝えるようにして、
回復力を高めてくれたのです。

山田さんの温かい「気のパワー」がこちらに伝わり、
彼岸の仲間たちのもとに歩み寄ろうとした気弱な僕は、
何度、『彼岸から此岸へ』、強く、引き戻されたかわかりません。

いま、山田さんは、仕事の主力は、
東京・池袋駅前の
「帯津三敬塾クリニック」の責任者をやられ、
気功の先生でもありますから、
川越の病院には、週に1、2度、お見えになるようでしたが、
僕の入院中、とくに手術前後、僕が落ち込む時期には、
毎日のように早朝、そして、夜遅く、
まるで、わが姉のように来ていただき、
両手で厚く握っては必ず、
よくなりますよ・・・と笑顔で包んでくれたのです。
まるで、菩薩か如来のように見えました。
嬉しくて涙が出ました。

また、山田さんが地方出張で、来れないときは、
病院の看護部長のTさん、看護師長のIさんが、
「山田の代理で来ましたよ」といって訪れ、
患者の言い出しにくい下世話な相談にも、
嫌がらずに乗ってくれました。

おそらく、僕は、この「三菩薩」の如き一級看護師さんたちの
温情に満ちた癒しのパワーのお蔭で、
「彼岸から此岸に引き戻されたんだなァ」と、
いまも、有難く、感じ入っているわけです。
帯津良一院長をはじめ、多くのスタッフの心ある対応が、
僕の自然治癒力を高め、
「次なるいのちのレベルアップ」をもたらしたと思います。
この病院の場は、まさに「患者の家」
「癒しの生命場」「養生道場」です。

ガンに対するホリスティックな治療形式のみならず、
スタッフのヒューマンコミュニケーションが、
自然のままに行き届いているのだと、改めて実感したわけです。

 帯津三敬病院 http://www.obitsusankei.or.jp/

※ 帯津三敬塾クリニック http://obitsu.com/


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2010年12月9日(木)

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