ガンを切らずに10年延命-関根 進

ベストセラー「ガンを切らずに10年延命」の著者
(元・週刊ポスト編集長)再開・新連載!

第28回
「悟りとは平気で生きていることだ」(正岡子規)

手術で「切り傷」を受けたことは、災難ばかりではなく、
積極的ないのちの発想転換をもたらしてくれたことなります。
術前術後の「巨大腫瘍を抱えたままの半断食」
は苦しいものでしたが、
却って、わが心身から悪いものを切り取り、
最後は緑色の宿便まで吐き出させる
効果も発揮しました。また、大量の輸血と栄養点滴は、
手術のための体力補強というだけでなく、
これはひとつの考え方ですが、
わが身の悪い血を入れ替えてくれたと思ってもよいわけです。

まさにいや「人生の仕切り直し」が
今回の術後となったわけですから、
「ゼロからの再スタート」をやりぬけば、
ガン治療の「戦略的直感」、つまり
帯津医師の言う「見えざる力」を大事に育めば、
これからも納得のいく、
「ご機嫌な人生」を全うできると思ったのです。

ホメオパシーを治療法に加える、
「見えざる力」に頼るとは、いかがわしい奴だと
思う人もいるかもしれません。
もちろん、これとて、末期ガンを乗り越える
最良の療法だとは断言できません。

また、人生って、僕のような我儘な人間の
思い通りに叶うとは思っておりません。
しかし、やはり、一回だけの人生です。
自分が納得できて、「少しでもご機嫌に過ごせればよい」
「彼岸の世界にすーっとソフトランディングしたいものだ」・・・
この発想が、末期ガンと向かい合う僕には、
患者が、他人の理屈に頼るだけでなく、
わが心身に沸き立つ「直感」を大事にすることが、
自然でありのままの生き方だと悟ったからです。

僕の愛読書の1つに、
結核で夭折した、歌人・正岡子規の「病床六尺」という
最期の闘病記があります。
その中で、患者にとっての「人生観」や「死生観」は、
高僧や偉い哲学者、はたまた医師が述べるような、
達観した「悟り」にはなれない――と、
正直に述べています。

「余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。
悟りということはいかなる場合にも
平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、
悟りということはいかなる場合にも
平気で生きていることであった。」――、

僕は、患者としての子規の本音に満ちた、この言葉に、
直感的にエンパシー(共鳴)するものです。
とても好きです。


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2010年12月21日(火)

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