ガンを切らずに10年延命-関根 進

ベストセラー「ガンを切らずに10年延命」の著者
(元・週刊ポスト編集長)再開・新連載!

第50回
「ポックリ死・願望」は不自然だ?

僕のガン闘病「延命13年」とは――、
一歩前進二歩後退で試行錯誤しながら掴んだ
直感闘病、いや、直感人生の選択でした。
基本の発想は、「いっときでもご機嫌に過ごしたい」=
「游息」の気持ちを大事にするものでした。

この「長寿難病時代」です。
多くの人が、最後は断末魔のような痛みと苦しみの中で、
死を迎えるケースが多いものでしょう。
しかし、それも神のみぞ知る領域のことですから、
せいぜい、許されるならば、
いっときでもよいので
「ご機嫌」に過ごしていこう。
そんな「ときめきの気分」で過ごせるとしたら、
これは儲けもの=至福の人生となります。

とくに、70歳を過ぎても、
親友や温情あふれる医師たちの
「縁」に恵まれるだけでなく、
著名な作家たちが残した名著による「いのちの知恵」から
大いに学ぶことが出来たのは幸運でした。

たとえば、35歳にして「結核とカリエス」で悶絶する如くに夭逝した
俳人・正岡子規の本は読む価値があります。
その壮絶な闘病病床記を読むと、
健常者には悲惨に思えることが、
まるで、写生をする如くに、いきいきと綴られていることに驚きます。

わが身の病と照らし合わせて読むと、
「素直に生きることを楽しむ」――、
人生を徹底して「游ぶ」―、
そうした力強いパワーを感じるから不思議です。
人間って、そうそう、「高邁」に死を悟る事など出来ない
「俗物」だということを教えられ、
思わず「ホッ」としてしまいます。

名著『病状六尺』には、以下のような、
死の1カ月半前の「游息の心境」が、
あちこちに散りばめられ、細かく綴られています。
実に素直です。自然です。虚飾がありません。

「このごろはモルヒネを飲んでから
写生をやるのが何よりの楽しみとなって居る。
けふは 相変わらの雨天に頭がもやもやしてたまらん。
朝はモルヒネを飲んで蝦夷菊を写生した。
一つの花は非常な失敗であったが、
次に画いた花はやや成功してうれしかった。(略)
とにかくこんなことをして草花帖を段々に
描き塞がれていくのがうれしい」

「病状六尺」――身動きも出来ない病床の正岡子規は、
想像を絶する痛みと恐怖の中でも、
心を病苦の外に遊ばせる――「游息」の出来る人でした。

激痛と闘いながら、仰向けに寝たまま、
『病状六尺』『仰臥漫録』という随筆を書いて楽しむ――
死の目前の恐怖の中でも、
「一時のご機嫌」「ささやかなときめきのとき」を求めた、
実に、自分に正直な患者だったことが分かります。
まさに、直感闘病、直感人生の人だと僕は思っています。

最近は、「ポックリ死」に憧れるという風潮が盛んのようです。
しかし、これは、なにか、人生をあきらめた
不自然なキーワードだと思いませんか?
僕は、あまり好きになれません。


人生に「哲学もどきの大ボラ」をふくのではなく、
等身大で「日々の游息」を楽しむ――
こうしたささやかな生き方こそ、
「直感人生のクライマックス」ではないでしょうか?
最近、とくにそう感じていますが、あなたはどう思いますか?


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2011年1月12日(水)

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