第58回
「日本列島改造・いのちの鎖」論(1)
話が、さらに本線から脱線しますが、
日本及び日本人の「将来像の逆発想」について、
“死にそこない”の僕がいま考えている
「いのちの直感的戦略論」について、
もう少ししゃべらせてください。
皆さんもご存じの通り、かつて、
中曽根康弘・元総理の「日本列島・不沈空母」論の前に、
田中角栄・元総理が声高に推進した
「日本列島改造論」がありました。
歴史的な「結果の是非」はともれ、
経済的にも精神的にも、
この逆発想がある種の
「劇的な元気のパワー」をもたらしました。
いまはさかんに
「環境福祉国家」論、「地球温暖化防止」論、
「民主主義遵守」論、「平成開国」論、「最小不幸社会」論などが、
まるで、バラ色の国家理想論として抽象的に、
いや、思いつきのように論じられていますが、
そろそろ自分たちが地に足をつけた
「日本列島」の位置や風土に根差した発想・思考・改造・戦略が
再考されるべき時代になったと思います。
いつまでたっても、運命的に背負っている
時間呪縛(=歴史の運命)から目をそらして、
評論家、学者やらコメンテーターやらが
「危機感なしのマニフェスト」などと批判し、
辻褄合わせの抽象論に逃れ、
それを聞く聴衆までが、まるで他人事のように、
思考を朦朧状態にしているとすれば、
これぞ「不健康」といいますか、
日本列島は精神的「重病症状」に包まれてしまうでしょう。
僕たちは、本来の「幸福」も「平和」」も「健康」も
なにも掴めなくなってしまうはずです。
日本及び日本人の「いのちの場」を、
どう本気になって創造するか?
この逆発想的なホリスティック・システム(全人的構築)を
誰が積極的にアピールできるか?
ここに僕たちのような爺さん世代のみならず、
孫や子供の将来社会を
元気に再生させるトリガ―(引き金)が隠されている――
僕はそう考えています。
ちなみに、平和運動といえば「人間の鎖」(human chain)*
という実践発想があります。
こうした発想こそ、「平和運動」などという言葉ではなく
「いのちの調和の実践」といったらよいと思っていますが、
ともあれ、
鎖のように太平洋に連なる、
長い長い「日本列島」という生命場とは
ただの地理的・地政学的に見た軍事防衛線ではありません。
*「人間の鎖」は、非暴力や反公害などを唱えるために
何万、何十万人の人たちが鎖のように手をつなぎ、
連帯と主張を貫く行動。
最大規模の「人間の鎖」は1989年、
リトアニア、ラトビア、エストニアのバルト三国の
首都600キロを結んだ200万人の独立運動。
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