ガンを切らずに10年延命-関根 進

ベストセラー「ガンを切らずに10年延命」の著者
(元・週刊ポスト編集長)再開・新連載!

第70回
余命半年!腹で実感する「少欲知足」

いっときでも「機嫌良く過ごしたい」
など書くと、なにか、ガンとの闘いをあきらめた、
みじめな患者のように映る読者もおられるはずです。

たしかに、胃を切って小腸につなげる手術は、
思わぬ後遺症で、僕を苦しめた――これは何度も書きました。
一度に、茶碗1杯の飯を食えば、
激しくダンピング(逆流嘔吐)して貧血を起こし、
動悸や目まいがする事が何度もありましたから、
肝臓転移の影響と不安と共に、
わが身は一体どうなるのだ?と、
きりきりとする内臓の痛みは感じませんが、
体全体が朦朧とした状態で、
ときに、人生をあきらめたくなることは別に否定しません。

いのちや寿命は
なるようにしからないと、ちょっと運命的、虚無的といいますか、
消極的、絶望的になるように思われがちですが、
しかし、不思議ですね。
決して、そうとばかりは言えないようです。

人間の生きる力って、そうしたときに、
「ひとつレベルアップ」するような気分になる事も確かなのですね。
なんども書きましたように、日々「游息」=、
前より以上に、いのちの戦略と戦術を
「直感的に」工夫して、いわば楽しんでいこうと思うのですから、
人間という生命体はますます魔可不思議です。

また、体のある部分が衰えていくわりには、
心や魂の領域が広がり、
なんども書きますが「ガンを游息して楽しむ」
こんな気分に満たされることがあるからさらに不思議です。

ちなみに、宗教家の
ひろさちやさんの本に「気楽に生きる」
「のんびり生きて気楽に死のう」といった名著があります。
「少欲知足」とは、お釈迦さまの最後の教えだそうですが、
「少欲有る者は、
すなわち涅槃(ねはん)あり、これを少欲と名ずく
知足の法は、即ち 是れ 富楽安穏の処なり」

≪遺教経≫によるものだそうです。
*涅槃とは、一切の悩みから脱した安楽円満の悟りの境地。

気楽、円満、安楽といった悟りの境地は
キリスト教のイエス・キリストも
「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である」
(マタイによる福音書6)
という格言に通じると説いておられます。

ガンさんとながく付き合ってきた僕は、
とうとう、高僧や仙人のように厳しい修行をするでもなく
「からだ」自体で、いのちのありのままを学んだように思います。
お陰で、年齢を加えるとともに、少しずつ衰えていく肉体の中で、
「一時でもご機嫌よく過ごそう」、
「のんびり生きて気楽にあの世に向かおう」・・・
僕はこうした気分になってきています
ある人は、それは「可哀そうだ」「悲劇的だ」というかも知れませんが、
これぞ、直感的人生に「游息」の
自然なあり方ではないかと思っています。

僕は、食べて生きるには「おちょこ2、3杯」という
「小さな胃の持ち主」となってしまいました。
若き日々の自業自得、因果応報・・・
これも運と縁のなせる技でしょう。
別に、深刻に宗教的に哲学的に高邁に悟ることなどなく、
無理に修行などすることなく、
「ガンさん」は70歳を超えた「ガン爺」に、
一気に「少欲知足」の知恵を
≪腹の中≫で直感体感的に授けてくれたことになります。
ガンさん、ありがとう。

人間の悟りとは、理智的修行で無理するのではなく、
直感的運命的に獲得できる・・・
そんなことも考えるようになりました。
また、下手な游息川柳をひとつ。

●小さき胃が 腹に教える 少欲知足〜


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2011年2月1日(火)

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