誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第34回
美しすぎる言葉 (その二)

グリム童話など昔の童話には
子捨てや食人喫人をモチーフにした残酷な話がけっこう出てくる、
とはすでに述べた。
そしてその残酷な話が改竄され、
最後はハッピーエンドで終わって
めでたしめでたしとなるような、
砂糖菓子のように甘ったるい童話が今は主流なのだ、
という話もした。

『赤ずきん』を知らない者はいない。
フランスのペロー作のものが
作品としては一番古いものとされるが、
類話は多く、グリム童話の中にも赤ずきんはある。
ペローは民話を採取し、作品にする段になって
残酷なシーンを多く削った。
たとえば狼にだまされ、
赤ずきんがおばあさんの肉を食べさせられる
といったシーンである。
タヌキにだまされ、
じいさんが老妻の肉入りババア汁を食べさせられてしまう
『かちかち山』となぜか似ている。

ペローが残酷シーンを削ったわけは、
この話が宮廷サロンに集う
麗しき女性たちのために書かれたものだからだ。
いつの時代にあっても、女性は暴力的なもの、
残酷なものを忌避する。
そのことによって民話や童話がねじ曲げられ、
俗耳に入りやすくなることの是非はにわかにつけ難いが、
甘ったるいもののきらいな私は、
狼が改心して豚や羊とお友だちになった、
なんて話を読むと心底がっかりする。
おのれの職責を全うしようとしない心やさしき狼に対し、
つい「狼のくせに恥ずかしくないのか!」
と叱り飛ばしたくもなるのである。

それでもペロー作の狼はまだがんばっている。
ばあさんを食べ、赤ずきんを食べたまま、
話が終わっているからだ。
グリム童話の赤ずきんになると、
猟師が出てきて狼のお腹から赤ずきんを助け出してしまう。
ここから狼の堕落が始まるわけだが、
猟師も余計なことをしてくれたものだ。

狂暴な狼でさえ、ヒューマニズムの衣を纏えば、
途端に暴力反対の平和主義者と化してしまう。
そして子豚と仲良くダンスに興じたりする。
童話はかつて現実世界の投影であった。
そこに描かれた教訓は、
厳しい現実を生き抜くための知恵となった。
今様の童話には教訓など何ひとつなく、
現実を映してもいない。
美しすぎる童話は子供の心に響かないだけでなく、
人間観察の甘い似非ヒューマニストを生み出す
恰好の温床になっている。


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