誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第43回
女性は非暴力がお好き (その一)

子供たちが取っ組み合いのケンカをしなくなって久しい。
私の子供の頃は校内であれ、路地や原っぱであれ、
子供がいるところ、必ずケンカが起きていた。
ところがどうだ。
近頃の子供は取っ組み合いはおろか
口ゲンカさえしやしない。
争いごとを極端にきらうのである。
火事とケンカは江戸の華といわれたが、
子供の世界でも、ケンカは血が沸きたぎるほど熱狂する華であった。

実際、子供でありながら、
度胸と腕っぷしだけで
男の看板を張っていた同級生が何人もいた。
小心者の私など、
彼らに胸ぐらを掴まれただけで
睾丸が縮みあがったものだ。
こうした乱暴者が後に市議会議員に立候補したりするのだから、
人生はおもしろい。
勉強ができなくても、かけっこが速かったり、
野球やサッカーがうまければ
仲間内で一目置かれたように、
ケンカが強いだけでも、
男の子の世界では充分に重きをなすことができた。
逆に勉強ができても、運動のできない者は軽んじられ、
勉強も運動もケンカも強いやつ、
すなわち文武両道に長けた子が一番尊敬された。

ニホンザルの世界には
マウンティングという特異な行動が見られる。
階層の上位の者が下位の者の尻にウマ乗り、
いやサル乗りになって交尾の姿勢をとり、
群れの中の序列を確認する行為のことである。
もちろんこの儀式の前には数限りない権力闘争、
すなわち取っ組み合いのケンカが繰り返されているわけだが、
結果、ボス猿を頂点とした
階層的ヒエラルヒーが自然とできあがる。

人間は毛が3本多いぶんだけ、サルより賢いのだという。
が、子供の社会はサル社会により近いのか、
物理的な力の優劣、
つまり腕っぷしだけで序列が決まるようなところがある。
口ゲンカや取っ組み合いは
その序列を決めるための通過儀礼みたいなもので、
これが正常に機能しないと子供社会は安定しない。
早い話、子供社会にもボス猿的な存在が必要ってことだ。

ところが、近頃の子供たちは
よろずスマートな大人社会を反映してか、
争いごとを好まず、学級クラス内の序列がなかなか定まらない。
学級崩壊だとか陰湿ないじめが横行しているのは、
ボスの不在によって、
子供社会の階層秩序がいちじるしく混乱している、
とする見方もある。
子供にはケンカが必要な所以である。


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