誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第44回
女性は非暴力がお好き (その二)

子供がケンカをしなくなったのは、
したくともさせてもらえないからだ。
子供たちの発育に必要不可欠のケンカを
頭ごなしに禁じているのは、主に母親たちである。
これは近所の保育園で聞いた話だが、
園内で子供同士のちょっとした諍いがあると、
あとで母親が園に抗議してくるという。
昔であれば、
「子供のケンカに親がいちいち口出しするもんじゃない。
 みっともないだろ!」
と父親がたしなめたものだが、
当節は母親と一緒になって抗議しに行くのが流行りなのだそうだ。
おそらくこの親たちも、
子供のころに取っ組み合いの洗礼を
充分に受けさせてもらえなかった世代なのだろう。

保育園側もよくない。
子供同士が取っ組み合うのは、
正しく成長するための必修科目みたいなものなのに、
ケンカが始まりそうになると、
むりやり子供たちを引き離してしまう。
そして諄々とこう諭すのだ。
「ケンカしてはだめ。二人ともお友だちでしょ? 
 お友だちはケンカしないものなのよ」
またしても“お友だち”である。
この言葉はよほど重宝なのか、
幼児教育の現場では耳にタコができるほど聞かされる。
友だちでもないのに、
最初からお友だちという共同幻想を強いられる。
そして困ったことに保母たちは、
友だちだからケンカをしないのではなく、
ケンカをした仲だからこそ友だちになれる、
という逆説がわからない。

ライオンの子がじゃれ合い、咬みつき合っているのを見ると、
ケガをしないだろうかと心配になる時があるが、
当然ながら本気で咬み合っているわけではない。
この程度なら強く咬んでもダメージにならないだろうという
「ほど」を知っていて、
寸前のところでとどめているからだ。
幾度となくじゃれ合うことで、
力の加減といったものを自然と身につけていくのである。

動物の子は、こうした取っ組み合いを繰り返すことで、
自他の力の差を知り、
相手とどう付き合っていけばいいのかという
“適正距離感”を身につけていく。
昔は人間も子沢山で、兄弟同士はしょっちゅうじゃれ合い、
ケンカをしていた。
そして自然と適正距離感を身につけていった。
人間も動物も、取っ組み合いこそが
生きるための必修科目だったのである。


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