誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第60回
ヌーボーよ、さようなら! (その一)

「20歳過ぎたら、あとはおばさんになるだけじゃん。
 成人式なんか全然めでたくねえヨ」
と、おつむの弱そうなツッパリ女子高生が
テレビの街頭インタビューに答えていた。
だから、おばさんになる前に
思いきりハメを外し遊びまくってるの、
という理屈になるらしい。
なるほど成人式なんてものは、
彼女らにとってはめでたくもなんともなく、
これから始まる侘びしきおばさん人生に向けた、
亡びの旅の一里塚でしかないのかも知れぬ。

わが家の次女はもっと悲観的で、
花も恥じらう娘時代は18歳までで、
それ以降はただ一目散に
おばさんの坂を転げ落ちていくだけだという。
「鬼も十八、番茶も出花」とあるように、
18歳はどことなくなまめいて、魅力的になる年頃とされてきた。
で、つぼみがほころび、
これからいよいよ本格的な女盛りを迎えようという矢先なのに、
今どきの女の子の認識では、
五分咲き七分咲きで、もう美しき娘時代は終わりを告げ、
あとは中折れ的に立ち枯れていくだけなのだという。

こうした本気とも冗談ともつかぬ発言を聞かされていると、
彼女たちが侮蔑的に「おばさん」と呼ぶところの
おばさんという生き物ないし生き方は、
よほど魅力のないものに思えてくる。
女として艶やかに光り輝くのはせいぜい20歳までで、
20歳過ぎると元は女であったという
「おばさん」という世にもおぞましき生き物に変わってしまう。
どうやら女の一生は、人生の最初の五分の一だけに陽が当たり、
あとの五分の四は色気も水っ気もない、
殺風景に乾ききった抜け殻的な余生のようなもの、
と思われているフシがある。

専門家によると、女のお肌の寿命は18歳がピークで、
あとは衰えるばかりだという。
しかし女の美しさは、
肉体の表面のたかだか数ミリの薄皮だけに
存しているわけではあるまい。
たとえ見かけ第一としても、
今を盛りと咲き誇る桜花より葉桜を好む人間だっているのだ。
歳を重ねることは、
高級ワインのように熟成していくことでもあるのに、
彼女たちは熟成を拒否し、
ひたすら新酒であり続けたいと願っている。
たとえ薄っぺらな味であっても、
ヌーボーであることに無限の価値を置きたいと考えている。
肉体的な若さだけに価値があり、
精神の軌跡を刻み込んだ
年相応の美しさといったものを認めまいとしている。
これはいったい、どういうことなのか。


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