誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第79回
五尺の小躯をもって……

漱石は倫敦にあった二年間、
ほとんど神経衰弱と狂気の淵に沈んでいた。
自らを“東洋の豎子(じゅし)”に見立て、
《英國紳士の間にあって狼群に伍する一匹のむく犬の如く、
 あはれなる生活を営みたり》(『文學論』)
と自らを嘲った。
留学先が憧れの支那であったなら、
下宿にひきこもって
鬱々とした日々を送らずとも済んだであろうに、
と同情の念を禁じ得ない。
漱石が否応もなく常態を失ってしまったのは、
単に西欧文明の力にねじ伏せられてしまったためなのか。
生涯、二度と英国の地に足を踏み入れたくない、
と漱石は苦く語っている。

豎子といっても漱石はそれほどチビではなかった。
身長が158センチ。
当時の日本人としては並み以上であっただろう。
同時代の外相だった小村寿太郎などは
わずかに五尺(150センチ)の小躯であったが、
その立ち居振る舞いは終始堂々としていて、
大丈夫としての風韻を感じさせたという。
こんな逸話がある。
北京で各国外交官が居並ぶなか、
李鴻章が
《「日本人は皆貴方のように小さいのか?」
 とからかったのに対して、
 「いや李鴻章閣下のような大きいのもいるが、
 大男は知恵がまわらないので、
 相撲などとらせて生計の道を与えている」》
(『小村寿太郎とその時代』)

司馬遼太郎も身長が164センチと、
決して大柄なほうではなかったが、
外国に行き、背の高い外国人の中に混じっても、
決して卑屈になることはなかったという。
それがなぜなのか、と考えてみたら、
自分が日本人として、
日本の歴史や文化に誇りをもっているためではないか、
と思い至ったという。
司馬は語っている。
日本の歴史や文化はどこの国のものと比較しても、
まさしく第一級のものであると。

漱石には心より同情するが、
たとえチビであばたの風采の上がらぬ男であっても、
石心鉄腸のごとき誇りと信念さえあれば、
異国の地にあっても、白シャツに落とした一点の墨汁のごとし、
と自らを卑下することはなかったであろう。
かつてアメリカはブロードウェイの大路を馬車に乗って行進し、
その威風堂々たる雄姿を沿道の群衆に焼きつけた
幕末の遣米使節団を思い起こしてほしい。
アメリカの国民的詩人W・ホイットマンは、
その時の感動をBroadway Pageant(『草の葉』
という詩に高々と綴っている。


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